「風景」
ツクシとホトケノザをなげこんだ
ここから、詩集『鹿門』の作品群。
きのう読んだ「クソニンジン」のような強烈な笑いはないが、自然のもっている不思議な力が聞こえてくる。
西脇のことばは一方で教養の中を動き、他方で自然とぶつかる。人間の思いを拒絶した存在。ツクシやホトケノザには「非情」というものを感じにくいかもしれないが、やはり非情なのだ。人間の思いとは何の関係もない。
その力と向き合うとき、人間の肉体も「自然」に対抗して、乱暴になる。乱暴の美しさを生きることになる。「投げ込む」。飾るでも、添えるでも、彩るでもない。ただ「投げ込む」。
ことば自体の音楽ではなく、「肉体」の運動の「音楽」が自然と向き合う。