西脇順三郎の一行(89) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(89)

「壌歌 Ⅱ」

露出するとき美という                      ( 101ページ)

 この行は一行としては不完全である。何が、どこに、いつ、などの「要素」が欠けている。もちろん、前の行にそれが書かれているから、詩としては不完全ではなく、私の行の取り上げ方が悪いのだが。
 しかし、不完全であっても、というより不完全であるからこそ完全であるとも言える。何が、どこに、いつ露出しようが、「露出する」という動きが美なのである。隠れているものがあらわれる。見えないものが見える。その瞬間、世界が変わる。
 西脇は、世界から何かを「露出」させようとしている。詩は「露出」にあるのだ。

 こんなふうに文章が「意味」に収斂していくのは頭が疲れているからなのだが、まあ、きょうは私にはそういう日なのである。日記なので、こんなことも書いておく。