「壌歌 Ⅱ」
でも永遠は永遠にのこる (99ページ)
同義語の繰り返しを文学はあまり好まない。同じことばの繰り返しは語彙の貧困を想像させるからだろうか。しかし西脇にはこの繰り返しが多い。
繰り返すと意味が違ってくる。
この詩の場合、最初の「永遠」は概念である。しかし、繰り返される「永遠」は概念ではなく、具体的な「とき」(場所のような「とき」)である。--と書いてみても、それは抽象にすぎないのだが。概念にすぎないのだが。
概念と概念がぶつかり、その瞬間に概念以外のものがみえたように錯覚する。
詩というのは、こういう一瞬の錯覚のことかもしれない。