西脇順三郎の一行(85) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(85)

「壌歌」(Ⅱ)

人間の眼にはうつらない!                     (97ページ)

 きのう、脇道を歩いてしまった。で、「84」とはちょっとことばがつづかないのだが……。まあ、気にすまい。詩なのだから、どこから読んだっていい。
 「うつらない」は「見えない」と同じ意味だが、「うつらない」は「見えない」かと思うとき、少し「意識」に沈黙がある。こういう沈黙はなかなかおもしろいし、それを沈黙と感じるとき、
 あ、西脇の「行わたり」のことばも沈黙をつくりだす運動なのだとわかる。
 一瞬考える。
 その思考の一瞬の空白に、肉体の沈黙がはいり込んでくる感じ。思考が意味という「道筋」をつけると、それにしたがって肉体が飛躍すると言えばいいのか、逆にことばの肉体がつまずいて、それを思考の意味が支え後ろから押すといえばいいのか。
 よくわからないけれど、一瞬の「断絶」だね。