「壌歌」(Ⅱ)
生存競争は自然の法則である (93ページ)
この詩も長いので、1ページから1行を選んで書いていく。
引用した行は冒頭の一行。とてもスピードがある。そのスピードは、そこに書かれていることが誰もがうすうす「わかっている」ことだからである。「わかっている」ことは、次のことばを動かす。あるいは、わかっていることに乗って次のことばが動いていく。加速する。加速しすぎて脱線する。そして脱線するのは「知性」というものにきまっている。
この加速、逸脱と向き合っているのが、このページの後半にある次のことば。1ページ1行というのルールに反するが引用しよう。
「月もおちて星の蝋燭が
一本もついていない
天国もこのごろ不景気で
節約しているんだべ」
知性でしかたどりつけないような表現のあとに「……だべ」という口語が飛び出す。野蛮が飛び出す。野蛮が、知性を突き破って、笑いになる。この破壊は、加速というよりも知性の暴走を無にしてしまう破壊である。ブレーキというよりも破壊としての、笑いとしての野蛮。
そこに音楽がある。破壊の激しい笑いの音楽がある。乱調の音楽と定義すれば、西脇が多用する「行わたり」のリズムと通じることになるかもしれない。