西脇順三郎の一行(67) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(67)

 「えてるにたす Ⅱ」

スカンポのように                         (79ページ)

 「スカンポ」を標準語で何というのか私は知らない。「スカンポ」が標準語かもしれない。正しい植物の名前かもしれないが。
 私の記憶(印象)では、それは、田舎の呼び方だ。
 道端に生えている草。茎の中が空洞で、かじると酸っぱい味がする。「スカンポ」の「す」は「すっぱい」、「スカンポ」の「すか」は「すかすか(空洞)」の「す」、「スカンポ」の「ンポ」は茎を折ったときの「んぽっ」という音。
 「スカンポ」は私にとっては草の名前というよりも、その草がもっている「音」。それをかじったときの私の肉体が感じた「感覚のすべて」。
 私は富山で生まれ育った。西脇は新潟の出身。富山と新潟は、まあ、完全に文化圏が違うのだけれど、隣り合っているのだから似ている部分もあるだろう。その似ている部分を私は「スカンポ」に重ねながら西脇を読むのである。