「えてるにたす Ⅱ」
鉛管のしめりのように (77ページ)
きのう書いた「肉体」の問題をつづけたい。
この1行は何を描写しているか。私は水道の鉛管を思い浮かべる。暑い日。水道管のなかを水が動いていく。そうすると鉛管の表面に水滴がつく。鉛管がしっとりしめる。そういう状況を思い浮かべる。
このとき動いている感覚器官は何だろう。
「目」で見て、鉛管の表面を描写しているのというのが基本かもしれないが、そのとき、そこには「触覚」(手で触った感じ)もまじっている。その「触覚」は「しめっている(ぬれている)」だけではなく、「冷たい」も感じる。
ある「もの/こと」が描写され、ことばになるとき、そこには「ひとつの感覚」があるのではなく、複合された感覚がある。その複合は「頭」のなかでつくられるではなく、「肉体」のなかに分離できない形、融合する形で存在する。そういうことを西脇のことばは教えてくれる。