「えてるにたす Ⅰ」
たたなくなる」 (73ページ)
この一行は前後の行をくっつけるととてもわかりやすい。「「教養をつければつけるほど/たたなくなる」艶美なるイムポテンス」。
だが、前後のことばがなくても「たたなくなる」だけほうりだしてもインポテンスを連想させるのはなぜだろう。
たぶん、インポテンスについて語るとき「性器が」という主語を省略することが多いからだろう。日常の会話ではわざわざ「性器が」とはいわない。
これは逆に言えば(?)、西脇はここでは「ことば」を「会話」そのまま、肉声として書いているということである。ことばの背後には、ことばを発した人がいる。他人(西脇を含む)がいる。そのことばをとおして、「意味」ではなく、私たちは「人間」を見る。
人間が見えると、それに遅れるようにして「意味」がやってくる。「たたなくなる」は勃起しなくなる、インポテンスになるという意味だとあとからやってきて、あとからやってきたくせに、その人間を覆い隠してしまう。
この人間を覆い隠してしまうことばを、どうやって引き剥がして、もう一度人間そのものをそこに「いる」という感じを取り戻すか。そのためにことばに何をすべきなのか(ことばをどう動かすべきなのか)。