西脇順三郎の一行(49)西脇順三郎の一行(49) 「失われた時 Ⅳ」どこかで人間がまたつくられている (61ページ) 生まれているではなく「つくられている」。それはことばを動かし、対話することだ。対話するとき、そこに人間が生まれると同時に、ことばが人間をつくっていく。「どこかで」は「知らないどこかで」ということ。そし「知らない」はほんとうは知っているということ。 だから、この行は「--おつかさんはとんだことになつたね」と、それだけで「意味」がわかることばへとつながっていく。