西脇順三郎の一行(45) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(45)

 「失われた時 Ⅳ」

女の顔色が終わるところに女の顔色                 (57ページ)

 「女の顔色」が2回、行頭と行末に出てくる。行末から行頭に戻る感じがする。何が起きたのかよくわからないけれど、繰り返してみると(戻ってみると)、「女の顔色」ということばが、ことばを越えて「もの」のように感じられる。
 繰り返すということは、ふたたび「始める」ということである。
 だから、その行に「終わる」ということばがあるのに、終わった感じがまったくしない。それだけではなく、いまの行が、行わたりをして「がまた始まるそこに永遠がある」とつづいていくときの「始まる」がとても近しい感じ、肉体で覚えている何かのように感じられる。
 こんなふうにして、意識できない形で肉体の覚えている何かを思い出し、繰り返す--その瞬間に「永遠がある」、と断定されたら、うーん、そのまま信じてしまうなあ。
 「論理」ではなく「音楽」で信じてしまう。


西脇順三郎詩集 (現代詩文庫 第 2期16)
西脇 順三郎
思潮社