「第三の神話」
小雨が降り出して埃の香いがする (53ページ)
西脇を私は聴覚の詩人だと思っている。耳で音を聞き、喉で声を出す。その肉体がことばを統一していると考えているのだが、嗅覚も新鮮だ。いきいきと動いている。雨がものに触れて、埃を浮き立たせる。そのとき匂いがする。敏感だね。
この行でもうひとつ注目するのは、動詞の「時制」。
私は習慣的に、こういうとき、
小雨が降り出して埃の香いが「した」
と書いてしまう。「降り出した」が過去形なので香いが「した」という具合に。けれど、西脇は後半を現在形で書く。「時制」が乱れている。
--のではなくて、西脇は意識して、そう書いているのだと思う。
雨が降りだしたのは「過去」、そして埃の香いがするは「いま」。起きたことが起きた順序で、そのまま書かれている。正直に書かれている。「時制」を統一するというような「頭」の操作は捨てて、感覚が受け止めているものをそのままことばにしている。