西脇順三郎の一行(41) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(41)

 「第三の神話」

小雨が降り出して埃の香いがする                 (53ページ)

 西脇を私は聴覚の詩人だと思っている。耳で音を聞き、喉で声を出す。その肉体がことばを統一していると考えているのだが、嗅覚も新鮮だ。いきいきと動いている。雨がものに触れて、埃を浮き立たせる。そのとき匂いがする。敏感だね。
 この行でもうひとつ注目するのは、動詞の「時制」。
 私は習慣的に、こういうとき、

小雨が降り出して埃の香いが「した」

 と書いてしまう。「降り出した」が過去形なので香いが「した」という具合に。けれど、西脇は後半を現在形で書く。「時制」が乱れている。
 --のではなくて、西脇は意識して、そう書いているのだと思う。
 雨が降りだしたのは「過去」、そして埃の香いがするは「いま」。起きたことが起きた順序で、そのまま書かれている。正直に書かれている。「時制」を統一するというような「頭」の操作は捨てて、感覚が受け止めているものをそのままことばにしている。