西脇順三郎の一行(40) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(40)

 「第三の神話」

黄ばんだ欅の葉先に舌の先が触れた                 (52ページ)

 これは肉体の舌が欅の葉に触れた(舐めた)という意味ではないだろう。ことばが欅に触れた、欅について語った、という意味だろう。もちろん舐めてもおもしろいのだけれど、そのときはまた違った表現になると思う。
 なぜ、語った、話したと書かなかったか。詩だからだ。気取って書いているのである。わざと書いているのである。
 私は「ことばは肉体である」と考えるので、こんなふうにことばを語るのに具体的な肉体をつかった表現に出会うと自分に引きつけたくなる。
 まあ、そんなことはめんどうになるからやめておく。
 この一行では「葉先」「舌の先」と「先」が二度出てくるところがおもしろい。同じことばが繰り返されると、その「同じ」の部分に意識が動いていく。「先」が重みを増してくる。で、書いてはいないが、これは「微かに触れた」のだと思う。「先」と「先」だからね。ことばは風のように欅の葉をさっととおりすぎたのだ。