「六月の朝」
キリコ キリコ クレー クレー
キリコもクレーも画家。でも、このことばからは「絵画」は浮かびあがってこない。「絵画」を突き破って「音楽」が聞こえてくる。音を繰り返すと「音楽」になる。(そして、色を繰り返すと「絵画」になるのかもしれない。)
この、画家を登場させながら「絵画」ではなく「音楽」とことばが動いていくところがおもしろい。
「キリコ」は、その音を入れ換えて「きこり(木樵)」にもなってしまう。
詩は庭の描写から始まり、「キリコ キリコ クレー クレー」という一行のあとに樵を登場させ、その樵との対話へと動いていく。その「会話」は具体的には書かれていないが、かわいた、さっぱりした音が聞こえてくる感じだ。自分の知っていることを自分の知っていることばで、それをそのままほうりだすような感じの西脇と職人との、現実を叩き割るような会話が聞こえる。
具体的に語れば語るほど抽象(比喩)になってしまうような、ある意味では、キリコ、クレーの絵のような……。