西脇順三郎の一行(32) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(32)

「六月の朝」

キリコ キリコ クレー クレー

 キリコもクレーも画家。でも、このことばからは「絵画」は浮かびあがってこない。「絵画」を突き破って「音楽」が聞こえてくる。音を繰り返すと「音楽」になる。(そして、色を繰り返すと「絵画」になるのかもしれない。)
 この、画家を登場させながら「絵画」ではなく「音楽」とことばが動いていくところがおもしろい。
 「キリコ」は、その音を入れ換えて「きこり(木樵)」にもなってしまう。
 詩は庭の描写から始まり、「キリコ キリコ クレー クレー」という一行のあとに樵を登場させ、その樵との対話へと動いていく。その「会話」は具体的には書かれていないが、かわいた、さっぱりした音が聞こえてくる感じだ。自分の知っていることを自分の知っていることばで、それをそのままほうりだすような感じの西脇と職人との、現実を叩き割るような会話が聞こえる。
 具体的に語れば語るほど抽象(比喩)になってしまうような、ある意味では、キリコ、クレーの絵のような……。