「夏(失われたりんぽくの実)」
恐ろしい生命のやわらかみがある
この一行だけでは「意味」は正確には伝わらない。その「正確ではない」ところがおもしろい。西脇は文脈の「正確」を拒絶している。「意味」を拒絶している。
そして、これは矛盾した言い方になるが、「正確な意味」を拒絶することで、「純粋な意味」を強調している。純粋の強調--それが詩なのである。
恐ろしい生命の/やわらかみ
恐ろしい/生命のやわらかみ
どこで区切って整理すれば「意味」が正確になるのかわからない。わからないまま「恐ろしい生命のやわらかみ」というものが「ひとつ」になる。そこには「恐ろしい」「生命」「やわらかみ」という三つの「要素(?)」があるが、それはしっかり結びついて「恐ろしい生命のやわらかみ」という「ひとつ」になっている。
「三つ」が「ひとつ」なのだから、そこには「純粋」というものではない何か変なものがあるのだが--それを「ひとつ」にしてしまうのが「強調」ということである。
ここには意味ではなく、意味の「強調」が「ある」。「強調されたもの/詩」がある。「詩」は「強調」なのである。