西脇順三郎の一行(29) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(29)

 「夏(失われたりんぽくの実)」

恐ろしい生命のやわらかみがある

 この一行だけでは「意味」は正確には伝わらない。その「正確ではない」ところがおもしろい。西脇は文脈の「正確」を拒絶している。「意味」を拒絶している。
 そして、これは矛盾した言い方になるが、「正確な意味」を拒絶することで、「純粋な意味」を強調している。純粋の強調--それが詩なのである。
 恐ろしい生命の/やわらかみ
 恐ろしい/生命のやわらかみ
 どこで区切って整理すれば「意味」が正確になるのかわからない。わからないまま「恐ろしい生命のやわらかみ」というものが「ひとつ」になる。そこには「恐ろしい」「生命」「やわらかみ」という三つの「要素(?)」があるが、それはしっかり結びついて「恐ろしい生命のやわらかみ」という「ひとつ」になっている。
 「三つ」が「ひとつ」なのだから、そこには「純粋」というものではない何か変なものがあるのだが--それを「ひとつ」にしてしまうのが「強調」ということである。
 ここには意味ではなく、意味の「強調」が「ある」。「強調されたもの/詩」がある。「詩」は「強調」なのである。