西脇順三郎の一行(24) | 詩はどこにあるか

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 「アン・ヴァロニカ」

恋心に唇をとがらしていた。

 唇をとがらすのは不満のときが多いようである。でも、この詩では不満からとがらしているのではないかもしれない。理由はわからない。わからないから、詩なのだろう。わからなさを、「とがらす」ということばが運んできていることがおもしろい。
 音もとてもおもしろい。「か(が)行」の音が多いのだが、「とがらしている」ではなく「とがらしていた」と「た」で終わるのもいいなあ。それまでの音の構成が「お」を多く含んでいてやや閉鎖的なのに、最後の「た」の母音は「あ」。ぱっと開放されて、明るくなる。「とがらして」の「が」の濁音も「あ」の響きに豊かさを与える。