西脇順三郎の一行(22)
『旅人かへらず/一六四』(31ページ)
旅人のあんろこ餅ころがす
きのう取り上げた断章のつづきになってしまったが……。
この一行は、一般的には「旅人のあんろこ餅ころがす」と書くところである。旅人「の」ではなく、旅人「が」。主格をあらわす助詞をつかうと思う。けれど西脇は「の」をつかう。「の」は西脇の愛用する助詞である。
「の」という助詞によって、何が起きるのか。
私の「感覚の意見」では、「の」だと「旅人」という主語が主語ではなくなる。旅人が主語、あんころ餅が補語(目的語)、ころがすが述語という、主-述の関係が「ほぐされる」。一瞬「ばらばら」になる。「並列」になる。
「主-述」ではなく、「並列」、言い換えると「対等」。
あ、これが詩なんだな。
「もの(こと)」が何かによってととのえられ、「流通」しやすくなるのではなく、その「流通」から逸脱して、「私はこっち」とわがままに自立(自律)する。そのときの「手触り(手応え)」のようなもの、「抵抗感」が詩なんだな、と思う。
また、この「の」、あるいは「の」に含まれる母音「お」は他の音とも響きあう。「が」でも「あ」の音が響きあう部分があるけれど、「の(お)」よりも数が少ない。西脇は音楽的な点からも「の」を選んでいるように感じられる。