西脇順三郎の一行(14) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(14)

 『旅人かへらず/九』(23ページ)

十二月になつてしまつた

 「なつてしまつた」の「しまつた」を私は何度も「盗作」した。西脇を読むまで、私は「十二月になった」とは言ったり書いたりしたことがあるが「なってしまった」と言ったり書いたことがない。
 だれが何をしようが、十二月というのは決まったときにやってくる。そういうものに対して「しまった」という感じをもったことがなかった。
 この西脇の「しまつた」は単純に「完了」を「強調」していることばなのかもしれないけれど、どこかに「あきらめ/後悔/失敗」のようなものが感じられる。十二月になったことが「とりかえしがつかない」ような、何か、「いま/ここ」を切り離すような響きがある。
 強い断絶--そういう「響き」がある。
 そして、この「断絶」は西脇が好んでつかう「淋しい(淋しき)」に通じる。
 「しまつた」の「つ」の音の短さ、母音の欠落が「断絶」をより強く浮かび上がらせる。