西脇順三郎の一行(11) | 詩はどこにあるか

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 「失楽園/内面的に深き日記」

穿いてゐるズボンのやうに筋がついてゐないので

 直前の行は「ミレーの晩鐘の中にゐる青年が」である。その青年が穿いているズボンにはすじがついていない。農夫なのだから、まあ、あたりまえだろう。筋のついたズボンを穿いて農作業をするひとはいない。--ということは、ふつうは、農夫が穿いているズボンに筋がついているかどうかを人は気にしないで見ている。それは見落としている「風景」である。見ていても、見えない姿である。
 いままで知らなかった(気づかなかった)風景を、ことばで見せられたとき、私はびっくりするが、それは「美しい」風景でなくても衝撃的である。「美しくない」風景の方が衝撃的かもしれない。
 この一行には、後者の「衝撃」がある。
 あらゆるものは、ことばに「なる」と美しくなる。