西脇順三郎の一行(7) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(7)

 「カリマコスの頭とVoyage Pittoresque」

しかしつかれて

 2行目にあらわる。あざやかなイメージとはまったく逆。そこには何もない。ただことばを前の行から次の行へ引き渡すだけの役割をしている。
 まわりには、イメージの新鮮なことばがたくさんある。きらきらまぶしすぎるかもしれない。 その反動で、この1行が目立つのか。そうかもしれない。きっとそうなのだろう。
 でも、少し、それにつけくわえたい。
 し「か」しつ「か」れて。「しかし」の二音目、「つかれて」の二音目。「か」の音の繰り返しが、単語の二音目で重なる。さらに「し」も「か」も、実際に口に出してみるとわかるとおもうけれど、母音がとても弱い。私は、「しかし」の「し」も「つかれて」の「つ」もほとんど母音を発音せずにこのことばを読む。閉鎖的な音だ。それが次の「か」で一気に解放される。
 その音楽に、私はひかれる。