「眼」
白い波が頭へとびかゝつてくる七月に
波の描写、波が高いということはわかる--と書いたら、それは実感とは違う。私は波の高さを実感していない。「とびかゝつてくる」という動詞に、波のいきいきした動きを見ている。そのときは波を高いとは思わない。波を危険とは思わない。
たとえば防波堤で、あるいは岩場で、波がたたきつけてくるしぶきを頭から浴びる。そのとき、「わああっ」と声を出して、私は喜んでいる。おもしろくてしようがない。
そういう明るさがある。輝きがある。
「白い波が頭へ」ということばのなかでは、また「白い波頭」ということばも動いている。