「カプリの牧人」
我がシヽリヤのパイプは秋の音がする。
なぜ「シシリヤ」なのか。わからないけれど、その「清音」のつながり、シの繰り返しが「我が」の「が」の音によっていっそう透明なものになる。同じ濁音でも「ぼくの」では違うなあ。「私の」でも違う。何か「間のび」してしまう。「我が」は音が短く、すばやい。そのすばやさが「シシリヤ」を加速させる。
ところで、「パイプの音」というのはどういうものなのか。私は煙草(パイプ)を吸わないので知らない。
知らないので、よけいに抽象的な、透明な「音」を聞いてしまう。「シシリヤ」のように子音と母音が最小限で構成された「サ行」の音を思い浮かべる。
![]() | 西脇順三郎詩集 (現代詩文庫 第 2期16) |
西脇 順三郎 | |
思潮社 |