谷川俊太郎『こころ』(59) | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎『こころ』(59)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)

 「そのあと」は、まるできのう読んだ詩のつづきのように感じられる。

そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべては終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある

そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている

そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に

 「過去」は「記憶」され、「記憶」は忘れないように「記録」される。そして、「終わる」。でも、「終わり」にできない気持ちというものがある。「終わり」にできない気持ちがあるから「記憶」し、「記録」されるのかもしれないけれど、すべてに「終わり」というものがない。
 生きているからね。
 「終わりにしよう」と思ったときから「始まり」がある。

 2連目がおもしろいなあ。
 終わったあとも何かがつづいていて「霧の中へ消えている」。えっ、「終わり」って、そんなあいまいで頼りない感じだけ?と思ったら、すぐに明るい希望のように「限りなく/青くひろがっている」。これは「霧」が「青く」とも読めるのだけれど、私は、野原と青空を想像した。ひろびろと光が満ちている。その「青」は空の青であり、宇宙の青だと思った。ここで「宇宙」が出てくるのは、谷川の詩が私の「肉体」の中に入っているからだね。私の「肉体」は「青」から「宇宙」を思い出してしまう。
 そこに「そのあと」がある。「未来」がある。
 谷川は「ひとりひとりの心に」と書いている。私は「ひとりひとりの肉体に」と書き直したい。書き直して読んでしまう。
 それが、谷川の詩を読んだ、「そのあと」の私である。



 どこかで遠し番号を間違えたみたい。「日記」のタイトルは(59)になっているけれど、今回が(60)。「再読」は終わりです。



こころ
谷川俊太郎
朝日新聞出版