谷川俊太郎『こころ』(11) | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎『こころ』(11)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)

 07月30日に右腕を負傷。思いのほか重傷で、昨日からギプスで固定。親指シフトのキーボードが使えない。詩は引用せずに、感想だけをメモする。
 「建前」(26ページ)。
 しばしば語られる本音と建前の関係を書いている。3連目の

建前にヒビが入っている
そこから本音が滲み出ている
決壊前のダムさながら

 というのは、ちょっと「流通概念」っぽいかな。だれでもダムを壊してみたい。本音をぶちまけてみたい――というのは、しかし、ある意味では「建前」かもしれない。「本音」の「流通定義」という気がしないでもない。いいかえると、3連目だけを読むと(結論だけを読むと)、谷川独自の「ことば」がみあたらない。私にはそう感じられる。
 でも2連目は違う。

建前よ
おまえは本音を狂わせる

 建前は本音を隠す。押し込める。押し込められるのはいやだ。暴れて本音は狂う。
 これも「流通定義」を短く言い直したものかもしれないが、

高い塀で囲いこんで
守っているつもりの本音が
いつか暴動を起こしたらどうするんだ

 本音を閉じ込める、ではなく「守る」。本音を守りたいから、本音はほんとうの自分だから「守る」。本音は、実現されないと、意味はないのに、囲いこむ形で「守る」。
 でも、囲いコムは「守る」ではなく「閉じ込める」かもしれない。本音にとっては「閉じ込められる」になるかもしれない。
 「囲いこむ」は立場が違えば「意味」が違う。矛盾したものになる。
 あれっ、これって、建前と本音みたい。建前と本音は立場が違えば意味が違う。相手次第で、建前が本音、本音がかわる。――この「矛盾」を谷川は2連目に、軽快なスピードで書いている。



やっぱり片手では書けないなあ。





こころ
谷川俊太郎
朝日新聞出版