キム・ギドク監督「嘆きのピエタ」(★★★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 キム・ギドク 出演 チョ・ミンス、イ・ジョンジン



 チョ・ミンス(母親と名乗る女)がイ・ジョンジン(借金取り立て屋)に強姦されたあとのシーンが非常にすばらしい。女の姿と男の姿が交互にスクリーンに映し出されるのだが、そこには「意味」がない。
 ふつう、こういうシーンのとき、そこには「感情」という「意味」がある。強姦された方は当然だが、強姦した方も、ほんとうにセックスがしたくてしたわけではないので、悲しみ、怒り、失望、困惑というものが「肉体」からあふれ出てきて、それがスクリーンを埋めつくし、それが「意味」となって、次の映像へとつながっていく。「物語」を動かしていく。たとえば「悲しみ」なら、その「悲しみ」がふたりによって共有され、それ以後の関係を自然とつくっていく。母親の「悲しみ」に息子の「後悔」が寄り添い、ふたりの絆が深まるという具合に。
 ところが、この映画では、そこには「感情」がない。あるのかも知れないが、うまく整理されていない。ある位置にカメラが据えつけられていて、その枠の中で役者の肉体がある時間をもって映し出されれば、そこにおのずと「感情」があふれてくるのだが(たとえば、涙が目からあふれて流れる--という映像なら「悲しみ」を表現する)、画面が何度も切り替わる。女から、男へ、男から、女へ。何度も切り替わりながら、どんな「感情」も明確にしない。いったい、どんな「感情」を伝えようとしているのかわからない。「意味」がつたわってこない。
 で、この「意味」がつたわってこないところが、心臓が凍りつくくらいにすばらしい。体が動かない。目が離せない。
 「意味」がわからないとはどういうことか。「意味」がわからないとは、言いなおせば、それから以後に起きることの予測がつかないということである。
 予測を補足すると。たとえば、女が最初に男の部屋を訪ねてくるシーン。男はドアに手が挟まれるのを承知でドアを閉める。ふつうは「痛い」ので女は手を引く。そしてドアは閉まる。ところが女は手を引かない。痛いという表情も見せない。そうすると、あ、女は何があっても男の部屋に入り込むという強い意思をもっている、その結果、女の意思に押し切られるように女と男はいっしょに住むようになる--ということが予測できる。そして映画はその通りに進むのだが、「強姦」のあとは、どうなるのかさっぱりわからない。
 女は出て行くのか。いっしょに住みつづけるのか。そのときの二人の関係はどんな「意味」を持ちながら動くのか。母親と息子という関係はなくなり、女と男の関係になるのか、もしそういう関係がつづくなら、そのとき「感情」はどう動くのか。手がかりがまったくない。ここには、いわゆる「映画文法」がないのだ。文法を否定したまったく新しい映像が、映像としてだけ存在する。これは画期的なことである。
 この画期的を別の映画を引用することで補強するなら。たとえば「シックス・センス」。ブルース・ウィルスが事故に遭う。そのあと病院から退院するのだが、退院後のシーンがはじまる前に大学のキャンパスが一瞬映し出される。1秒くらいだが、その映像は、事故までの映像とまったく違っていて、見た瞬間、あ、ここからはいままでの「世界」とは違う「世界」がはじまるということがわかる。これは「映画文法」をきちんと守って映像を撮っているからである。
 「嘆きのピエタ」は、これともまったく違う。だいたい、強姦のあとのシーンが、ふつうの映画と比べて長すぎるし、シーンの切り替えが多くて、いったい何のために映しているのかさっぱりわからない。
 繰り返すけれど、この「わからない」がほんとうにすばらしい。だいたい監督にしろ、役者にしろ、「脚本」があって結末を知っているはずなのに、その途中に、物語がどう展開するか「わからない」というような「無意味」なシーンがあるということは、本来なら「駄作」の要因になる。むだなシーンが多くて退屈ということになるはずなのに、この映画では、そうではないのだ。
 監督も役者もカメラも、「物語」を知らないんじゃないか、脚本はまだ存在していないのじゃないか--と思わせる。この「物語」は決まっていないという強い印象が、そして、以後の「物語」をとても力強く動かしていく。どう変わるか、わからない。わからないから、目が離せない。夢中で、スクリーンのなかに入り込んで、みつめつづけるだけである。登場人物といっしょに生きるだけである。
 母が男をかばうのは、男がほんとうに息子だからなのか。あるいは、男に復讐をするためなのか。そして、復讐をするためとはいえ、いっしょに時間を過ごすことで、その男がどういう人間かわかったとき、それでも平然と復讐できるのか。もし、いっしょに暮らすことで男の悲しみがわかったとしたら、それでも復讐をするのか。復讐に男は気づくのか。気づいたとき、男はどうなるのか。また悪の道にもどるのか。それとも後悔し別の人間に生まれ変わるのか。まったく予測がつかない。はらはら、どきどきする。はらはらどきどきしながら、胸が痛くなる。
 この映画は、いわば予測を拒絶して、「いま/ここ」のままの時間を観客に突きつける。その、壮大な「伏線」が、強姦シーンのあとの、「無意味」に徹した複数の映像なのである。このシーンだけで、この映画は映画史に残る。このシーンを見逃したら、この映画を見たことにはならない。大傑作。2013年の見逃してはならない映画の1本。すぐに見にゆこう。
                      (2013年06月30日、KBCシネマ2)



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