ヘンリー・キング監督「慕情」(★★) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

監督 ヘンリー・キング 出演 ウィリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズ

 午前十時の映画祭(第三弾)の一本。いつ見たのか記憶にないけれど、たしかに見たことのある一本で、海辺のシーン、ラストシーン(ウィリアム・ホールデンがあらわれて消えるシーン)はよく覚えているのだが、その昔何を感じたのか、さっぱり思い出せない。何も覚えていない。そして、不思議なことに何を感じたのか覚えていないので、何も思い出せない--と気づいて、
 おっと、発見。
 そうか、感情はそのとき突然生まれるものではなく、やはり昔感じたことをもう一度感じ直すようにして生まれてくるものなのだ。

 そう思って映画を思い出し直すとなかなか。

 ウィリアム・ホールデンもジェニファー・ジョーンズも、これが最初の恋ではない。男は結婚していて、妻とは別居している。別れたいのだが、妻が同意しない。女は夫と死別している。そのふたりが恋をするとき、そこには「はじめて」のものは少ない。というより、「過去」が「いま」となって、恋の行く手を阻む。女には、イギリス人と中国人の血が流れているという「過去」もある。
 そして、「過去」というのは、なんというのだろう、二人だけのものではない。変な言い方だが、二人の「過去」なのに周りの人がその「過去」を知っていて、「過去」に加担するように恋をじゃまする。この周りの人の「過去」を「世間」ともいう。ややこしいのは、それが「世間」であるとき、そこには二人の「過去」以外に「世間の過去」もまぎれこむことである。
 だれもかれもが「自分の恋」を覚えていて、それを基準にしてふたりの恋を判断(?)する。で、微妙なものが交錯する。
 あ、これが「大人の恋」か。大人の恋は自分の覚えていることだけではなく、他人が覚えていることとも向き合いながら、おりあいをつけていかなければならないときがある。めんどうくさい。そして、そのめんどうくささが、まあ、ある意味で、遅れてきた恋を純粋に洗い直すんだろうなあ。
 それにくわえて……これはなんというのか、女の視点で「私はこんな恋をしました」と整理し直した雰囲気が濃厚で、どうもおもしろくない。美男子でとおっていたウィリアム・ホールデンも人形のようだ。海水パンツ一枚になって肉体美も披露して見せるのだけれど、これもね、「私の恋した男はこんなに美しかった」と女が自慢するためだけのものであって、ああ、そうですか、という印象が強い。たぶん、当時としては、この「女の視点」で整理し直した恋物語というのはちょっと新鮮だったかもしれないけれど、うーん、私は女だったことがないので、覚えているものが違いすぎて、どうもぴんとこないのである。気取りがおおすぎる、と言ってしまうと身も蓋もないか……。
                        (2013年06月08日、天神東宝1)

慕情 [DVD]
クリエーター情報なし
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン