秋亜綺羅「一+一は!」(朝日新聞、2013年05月14日夕刊) | 詩はどこにあるか

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秋亜綺羅「一+一は!」(朝日新聞、2013年05月14日夕刊)

 秋亜綺羅「一+一は!」という詩。タイトルを読むと、すぐ「2」という答えが思い浮かぶ。でも、そうなのかな? だいたい「1」って、何?

空気が踊ると風を感じるよね
空気が眠れば気配を感じる
気配はもうひとりのぼくだとおもう
一緒に歌って笑ってた、きみのこと

 この1連目。話者の「わたし(と呼んでおく)」がいる。「僕」でもいいけれど、3行目に「もうひとりのぼく」ということばが出てくるので、ちょっと区別しやすくするために、「わたし」。
 で、書かれていない「わたし」と「ぼく(もうひとりのぼく)」以外に、4行目に「きみ」が出てくる。その「きみ」は、意味としては「ぼく」と同一人物である。「一緒に歌って笑ってた、きみ」が「ぼく(もうひとりのぼく)」。
 あれって、思うでしょ。「わたし」はどこ?
 「わたし」のなかに「ぼく」と「きみ」がいて、「きみ」と呼んでいるのは、「わたし」、それとも「ぼく」のどっち?
 これは厳密に考えると面倒くさい。

 ちょっとタイトルに戻る。
 「わたし(1)」+「ぼく(もうひとりのぼく)(1)」は? 2じゃなくて、「1」のままだね。どれだけ「ぼく」が増えていこうと、「わたし」は増えない。「ぼく」が「きみ」と名づけられ、
 「わたし(1)」+「きみ(1)」になっても、そこにいるのは「わたし」という1.
 「ぼく(1)」+「きみ(1)」も1.そこには「わたし」という1がいるだけなのだけれど、なぜか、「ぼく(1)」+「きみ(1)」という算数が表に出てきて、「ほんとう」を隠してしまう。
 いや、逆かな?
 というより、算数の式は、別な形じゃないかな?

 「わたし(1)」÷2=「わたし(1)」+「ぼく(もうひとりのぼく)(1)」
 つまり、1÷2=1+1、
 あれ、変。
 これを正しい算数に戻すには、
 1/2+1/2=1
 でも、「わたし」をどんなに割ってみても「2分の1のわたし」にはならなからね。そして、どんなに分裂した「もうひとり」を足しての「わたし(1)」以上にはならない。
 あ、何を書いてるんだろうね、私は。

 じゃあ、このとき何が起きているのか。面倒くさいので、視点を転換する。
 何かが起きたとき、そこでは「もの」がかわる。「空気が踊る」と「空気が風」にかわる。新しい何かが生まれる。けれど、それは「空気」にかわりはない。
 じゃあ、かわったのは?
 「認識」。
 認識のなかで、さまざまなものが変わる。感情もね。そしてそれは、分裂しながら、貧弱になるのではなく、豊かになる。
 何かが起きるたびに、私たちは、衝撃を受けて「分裂」する。その「分裂」を次々にあつめながら、私たちは「ひとり」のまま、認識と感情を豊かにする。

 「もうひとりのぼく」の「もうひとり」を区別するのは、この「豊かさ」につながる何かなのだ。
 だから、と、私は飛躍する。
 1(わたし)+1(もうひとりのぼく)=無限大。
 なぜなら、1(もうひとりのぼく)とは1(きみ)を含むのだから。
 1(わたし)+1(もうひとりのぼく)=1(わたし)+1(もうひとりのぼく)+1(きみ)
なのだから。
 で、このときに、というか秋亜綺羅のキーワードというのが「もうひとりのぼく」の「もうひとり」、さらに言い換えると「もう」なのである。「もう」は追加。追加を誘い出すことばだね。追加されるのは「新しい認識」「新しい感覚」「新しい感情」。
 と言う具合にことばを進めてわかることは。
 秋亜綺羅の詩はあらゆるところに「仕掛け」があるのだけれど、その「仕掛け」というのは「新しい何か」を追加するためのもの。そこで始まるのは、ただ「新しい何か」、「1」を深める何か。
 で、その「新しい何か」は必ずしも「整合性」を求められてはいない。
 「わたし」が感じることと、「ぼく」が感じること、「もうひとりのぼく」が感じること、「きみ」が感じることは「矛盾」していたって、ぜんぜんかまわない。
 この詩でも、ほら、

涙がとまらなければ
金魚と友だちになろうよ
金魚は悲しくても
涙を流すことができない

ガラスの部屋でうずくまるきみは
壊れたこころを癒し終わって
ガラスを壊すときが来るだろう
だいじょうぶ、こわいけれど
ぼくはいつも一緒だから

 泣いている「きみ」、怖がっている「きみ」を、「ぼく」が励ましている。おなじ「わたし」であるはずの「ぼく」と「きみ」は違う感情を生きている。
 だからこそ、詩はつづく。

ひらめきと、ときめきさえあれば
生きていけるさ

だけどあるときは、ぜんぶ裸になって
あるときは派手なコスプレをして
みんなの前に現れる
そんな勇気がいるかもしれないね

これからぼくたちが向かうだろう
水平線だって波立っている
この場所と時間だけがいまのぼくたち
ふたりで写真を撮ろうか

 「ぼくたち」は「ふたり」実感し、「ふたり」を受け入れるとき、いままでの「わたし」を超えて、新しい人間になる。
 1(ぼく)+1(きみ)=新しいわたし=無限大

 秋の詩はいつでも、信じられない明るさに満ちている。





透明海岸から鳥の島まで
秋 亜綺羅
思潮社