ロバート・B ・ウィード監督「映画と恋とウディ・アレン」(★★) | 詩はどこにあるか

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監督 ロバート・B ・ウィード 出演 ウディ・アレン、ダイアン・キートン、ペネロペ・クルス、スカーレット・ヨハンソン

 ドキュメンタリーである。で、あのシーンは出てくるかな、と期待して見に行った。出てきました。「アニー・ホール」のエビのシーン。
 ウディ・アレンはエビがこわい。それをからかうように、ダイアン・キートンがエビを持ってウディ・アレンを追いかける。映画では、途中で笑いだしてしまう。それが演技ではなくて、ほんとうにおかしくて笑ってしまう、という感じ。いわばNGのシーン。それをそのままつかっている--と私は思っている。
 で、この映画にもそれがそのままそっくり出てくる。ただし、もう40年ほど前の映画なので、私もはっきりとは思い出せないのだが、やっぱり、このNGシーンをそのままつかっていると思う。映画としては「反則」なのかもしれないけれど、ダイアン・キートンの笑いがほんとうにすばらしい。このシーンを見ると、なぜ二人は別れてしまったんだろうと不思議な気持ちになる。こんなに楽しく、なんでもないことで笑い転げることができたのに……。
 映画では、このあと別な女と同じようにエビのシーンがあるんだけれど、そのときは女の方が「あんた、何やってるの」と冷めた感じでウディ・アレンを見ている。その冷淡な顔と、ダイアン・キートンの笑顔の違いが、とてもおもしろい。
 「アニー・ホール」にはもうひとつ好きなシーンがある。二人がそれぞれセラピーを受ける。で、セックスの回数について語る。ウディ・アレンが「少ないんだ、週に3回」。ダイアン・キートンは「多いの。週に3回」。ね、おかしいでしょ? で、このシーンは画面が分割しているのだけれど、なんとセットをくっつけて一回で撮っているという。えっ、と驚いてしまった。たしかにそうすると経済的だね。
 ダイアン・キートンにかぎらず、ウディ・アレンの映画に出てくる女性はとてもいい。演技がとても「自然」だ。「ブロードウェイと銃弾」のダイアン・ウィーストのオーバーな演技さえ、とても自然だ。演じさせるというよりも、その人がもっているものがあふれてくるように、それを受け止めるようにしているのだと思う。「アニー・ホール」のエビのシーンのダイアン・キートンの笑いのように。そして、それがふつうの映画では「NG」であっても、その自然とあふれてくるものが魅力的ならそれでいいと考えているのだと思う。
 これはウディ・アレン自身が語っているが、男がつくるコメディー(ジョーク)とはまったく違うものである。ジョークというのは、何かしら自分を押し付けるものである。思わずあふれてくる感情ではなく、知的な力で、知そのものを叩き壊す。それがジョークだね。
 ウディ・アレンは女性たちと出会うことで、この知の力による破壊という笑いから、そこに人間がいるということの親しみへと世界が変化していく。ダイアン・キートンの力は偉大だなあ、と思う。だからこそ、なぜ、別れちゃったのかねえ。
 まあ、他人のことだから、いいんだけれど。
 別れ話といえば、ミア・ファローは「作品」としては出てきたけれど、証言者としては出てこなかったね。当然か……。

 それとは別に。
 私は「スターダスト・メモリー」が大好きなのだけれど、これってヒットしなかったんだよね。「マンハッタン」も大好き。これは、ごくふつうにヒットしたのかな? 「マンハッタン」はウディ・アレンは失敗作と思っていたらしいけれど。
 そういう監督の「想像」と観客の反応の違いについて、ウディ・アレン自身がとまどっているところが描かれているのはおもしろかったなあ。
 あ、大ヒットした「ミッドナイト・イン・パリ」は私はそんなに好きじゃないんだけれど。「世界中がアイ・ラブ・ユー」の方が好きだなあ。もっとも比較するようなものではないけれど。




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