池井昌樹「初恋」 | 詩はどこにあるか

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池井昌樹「初恋」(「歴程」579 、2012年05月15日発行)

 池井昌樹「初恋」。書くことは何もない。ただ読んでもらえればいい。長い間いっしょに暮らすことの美しさが満ちている。

わたしこと
はずかしながら
としがいもなく
このたびはじめてこいにおち
こいにまどいこいにくるうて
あさましきことかぎりなし
こころにひめたこのおもい
うちあけられないそのひとは
けさもごはんのしたくして
せんたくものをとりこんで
わたしをおくただしたひと
こんどいつまたあえるやら
いてもたってもいられない
みちならぬこい
もちろんのこと
つまなんかははなせない
あのねがおのこと
あのねいきのこと
あたたかなあのひとのこと
こんどかおみたときだって
いつものようにブッキラボーに
いまかえったぞ
おかえんなさい
ろくにはなしも
ないくせに

 そうだねえ、長年連れ添った妻に恋心を抱くなんて、「みちならぬこい」だよなあ。うちあけられるわけがない。「こんどいつまたあえるやら」は、そのひとに、というよりもそういう恋をする自分自身にでもあるかもしれない--と書いてしまうと、池井の場合に、違ってしまうね。

けさもごはんのしたくして
せんたくものをとりこんで

 この繰り返し。繰り返せることの、美しいよろこび。

いつものようにブッキラボーに
いまかえったぞ
おかえんなさい
ろくにはなしも
ないくせに

 繰り返しとは、「いつものように」ということだ。
 この詩には「いつものように」がすべての行に隠されている。

「いつものように」けさもごはんのしたくして
「いつものように」せんたくものをとりこんで

「いつものように」あのねがお(のこと)
「いつものように」あのねいき(のこと)

 「いつも」だからこそ「こんど」かおみたときだった、と「こんど」といわなくてはいけないのだ。
 「いつも」なら「こんど」ではないのだが(学校文法では)、「いつも」だからこそ「こんど」なのだ。「いつも」だからこそ、「こんど」がいちばん新しい。
 「初恋」は「初めての恋」ではなく、「いまいちばん新しい恋」のことである。

 いいなあ。

池井昌樹詩集 (現代詩文庫)
池井 昌樹
思潮社