「フェルメールからのラブレター展」(ブンカムラ ザ・ミュージアム、2012年01月27日)
「フェルメールからのラブレター展」は、2011年07月20日に京都市美術館で見ている。2011年07月25日の日記に感想を書いた。今回、時間の都合でフェルメールの3点だけを見に行ったのだが、
うーん。
京都で見たときとまったく印象が違うので驚いた。
ブンカムラの展示では、フェルメールの作品だけ、壁面が赤い布で覆われていた。また絵のなかに出てくるような厚手のカーテンが装飾的に天井近くに飾ってある。これがうるさい。絵のまわりで不愉快な音がするのである。そして、そのために絵のなかにある(絵から聴こえてくるはずの)音楽が少しも聞こえてこない。
「手紙を読む青衣の女」の場合、私の記憶(アムステルダムで見たときと京都で見たときの記憶)では、左側の窓からの透明な光そのままに、しずかな音からほんのすこしずつさらに静かになって右下の椅子の青い座面に落ち着く。沈黙。--しかし、沈黙ではなくて、そこには聞きとれない音がある。音を飲み込む音かもしれない。あれは、まぼろしだったのだろうか。
絵全体がもっている青と白の波長と、赤の波長が違いすぎるのかもしれない。
京都で見たとき、壁面がどうだったのだろう。思い出せない。やはり赤い色の布が背後を覆っていただろうか。そうなら、そのときうるさい音を感じなかったのはなぜだろう。壁面の大きさだろうか。室内の空間の大きさだろうか。あるいは他の壁面の色、床の色が関係しているのか。
照明の仕方も非常に気になった。何かうるさい。光がわざとらしい。フェルメールの絵は光の諧調が美しいのが特徴だと思うが、絵のなかの光の音楽と、会場の絵を照らす光の音楽があわない。絵が窮屈に閉じ込められている感じがする。絵がカンバスの外に広がってゆかない。
ただし、「手紙を書く女」の場合は、背後は赤でもいいかな、と思った。絵のなかの黄色い色が、不思議に強い音に聴こえてきた。背後というか、周囲の赤い色を吸収して、黄色が輝きを増す。そのとき、何か強い音が響いてくる。
京都展も東京展も主催に「朝日放送、テレビ朝日、博報堂」が名を連ねており、「京都市美術館」と「ブンカムラ」が違うだけなのだが、展示の指示はだれがやっているのだろうか。
でも、こういう体験をすると、絵はやはり生きものという感じが強くなる。どこで見るか。いつ見るか。それもきっと絵の大切な要素なのである。その土地の空気、光もきっと影響する。自然光を遮断した室内で見るにしても、空気が違う。絵が呼吸する空気が違うと、絵は変わってしまうのかもしれない。
ブンカムラで見た人は、ぜひ、違う会場でもう一度見直してください。きっと印象が違うはずです。