ノーマン・ジュイソン監督「華麗なる賭け」(★★) | 詩はどこにあるか

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監督 ノーマン・ジュイソン 出演 スティーヴ・マックイーン、フェイ・ダナウェイ

 タイトルの分割画面が、昔はとても新鮮に感じられた。でも、いまはなんだかうるさい。あまり効果的とも思えない。同じ画面に映っていなくても「同時」という感覚は生まれる。画面の大小もおもしろくない。いま、誰かがやるとするなら、目そのもののアップとか、飛行機の翼の一部とか、全体を観客の想像力にゆだねるものになるかなあ。
 冒頭の銀行強盗のシーンまでと、スティーヴ・マックイーンとフェイ・ダナウェイの恋愛がちぐはぐ。運転手をホテルに呼び出して雇うところから、公衆電話を活用して時間をあわせ、金を奪うまでは、ほんとうに華麗でわくわくするね。そのあと、まあ、恋愛してはいけない2人、銀行強盗の主犯と犯人探しの調査官が恋に落ちる――というのが見せ場なんだろうけれど、なじめないなあ。
 美しいのはグライダーのシーンとミシェル・ルグランの音楽が交錯するシーン。自力では飛ばず、惰力と風で空を舞う――その不安定が、2人の恋愛の駆け引きを象徴する。(そのシーンには別の女性がいるのだけれど。)どっちが惰力? どっちが風? 恋愛では、主役はなく2人の関係の揺らぎが主役。揺らぎ、駆け引きが美しい時、2人が輝く。惰力と風が拮抗しバランスをとるときグライダーが華麗に舞うのに似ている。
 これに比べるといかにもスティーヴ・マックイーンらしい海辺の車のシーンは、ぜんぜん美しくない。スティーヴ・マックイーンがリードするだけ。車を運転するとき、車をあやつるのはスティーヴ・マックイーン。まあ、砂浜のでこぼこが不確定要素だけれど、フェイ・ダナウェイは安心しきっているでしょ?
 それに比べると、グライダーは女が一応、「どうしてエンジンつきにのらない?」と問いかけるでしょ? 不安だからだね。自分のすべてをコントロールできたら、そこには恋はない。自分だけではコントロールできない――それが恋。
 ラストが、そうだね。最後の「賭け」は、どっちが勝った? スティーヴ・マックイーンもフェイ・ダナウェイも負ける。負けた二人の間で、不可能な恋だけが勝ち誇って輝いている。人間の「知恵」では解決できないいのちが輝く。それが、涙、というわけか・・・。


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