八柳李花ー谷内修三往復詩(5) | 詩はどこにあるか

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枝分かれした解釈   谷内修三


 枝分かれした解釈を泳ぐように男が会話をずらした。それは男がその話題から私を遠ざけようとしているのか、あるいは私が傷ついてはいけないという配慮が働いたためなのか。つまり、私を嫌っているためなのか、あるいは私を気づかっているからなのか。一瞬問い詰めたい気持ちに襲われる。しかし、どのようなことばをつないでゆけばこの新しい流れを遅れさせたり止まらせたりせずに動かせるのか思いつかなかった。
 もし会話のはぐらかしが私への配慮であった場合、問い詰めることは男の好意に反することになる。男が私を拒もうとしてそうしたのなら、男を気のおけない唯一の友と信じている私は絶望的な気持ちになってしまうに違いない。つぎにつなぐことば次第では私と男の関係はとりかえしがつかないものになるかもしれない。
 あるいは会話をずらされたと感じる私のこころのなかには、私と男の関係が破綻するのではないかという予感があったのかもしれない。そのために男から返ってきたことばを先取りするようにして私は誤解しているのかもしれない。もしそうならばすべては私に起因することになる。

 (水差しの、影の部分に遠いピアノの脚が映っている。)

 男のことばが泳ぐ男がひきおこす冷たい水の乱れのように私の肉体を引き込み、そのなかで私はおぼれていくのかもしれないと感じ、息継ぎをするようなあいまいな声で、「それはあれですか?」と私が言うと、「もちろんあれだよ」と、私がそう言うのを知っていたかのようなすばやい反応が返ってきて、私は再び遠くに置き去りにされていると感じた。

 (声の横を、しなやかな脚が通りすぎてゆく。)

 男は私を拒んでいるのか、あるいは拒絶を明確にすることで私が完全に立ち直れなくなるのを心配しているのか。私は判断したくはない。それは、いずれにしろ、私の否定だ。その延滞のなかで、私はことばを失ってしまうのだが、ことばを失うことと思いが肉体のなかで交錯することは別問題で、私の感情は暗く汚れてしまって、その汚れが表情に出てしまったらしい。
 「そんな顔するなよ」と男は時間を押し流すように声を出した。私は「そうかもしれない、しばらくひとりで考えてみるよ」とことばにするしかなくなる。どうもそれが男の求めていたことばだったらしい。「それじゃあ、おれは帰るよ」と薄暗い椅子を残して消えてしまうのだった。

                 (2011年11月25日)



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