監督 フランシス・フォード・コッポラ 出演 アル・パチーノ、 ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン
昨年、「午前十時の映画祭」で「ゴッドファーザー」を見た時は、黒の変質にがっかりしたが、「PARTII」は闇が美しく残っていた。それも「ゴッドファーザー」の、黒のための黒、闇のための闇の色というよりも、はるかに自然な感じがする。(その分、「芸術的」「美術的」な華やかさは欠くけれど。)
色彩というか、明暗というか、陰影というか・・・「ゴッドファーザー」では、その変化がそのままストーリーと重なる。「PARTII」の方が、その効果はより鮮明かもしれない。私はひそかに、前作で黒(闇)があまりにも美しく撮れたので、コッポラは「PARTII」を撮る気持ちになったのではないかと思っていた。それを、今回、スクリーンで再確認した。しかも、今回は、「芸術」におぼれた映像というより、「いま」「ここ」にある自然という感じになっているのが、何か、すごい。
明暗、陰影に話を戻すと・・・。
アル・パチーノは「PARTII」ではどんどん暗くなってゆく。直接人を殺さないのに、手のつけられない闇が体からあふれてくる。冷たい冷たい闇である。これに対し、ゴッドファーザー以前を演じたロバート・デ・ニーロは、人を殺しても黒(闇)に飲み込まれない。不思議に明るい。闇を捨てる、闇を葬るという感じすらする。そして、そこには「ファミリー(マフィアという意味とは違う、本来の「一家」という意味)」の温かさがにじむ。闇を自分から吐き出し、「一家」を自分の「肉体」の明るさでつつむ。
二人の対比、過去といまの対比が、色調、闇と光のなかで、ストーリーそのものになる。
「ゴッドファーザー」は大傑作だが、「PARTII」はそれをしのぐ傑作であると思う。続編という形で作られたので、ずいぶん評価の面で損をしている部分がある。「芸術」と「自然」を比べたとき、「芸術」に目を奪われるのは当然のことでもあるけれど。
「役柄」ということもあるのだが、ロバート・デ・ニーロはとてもいい演技をしている。ひとを見る時の目が、ひとの表面にとどまらず、内面にすーっと入っていく感じが特にいい。見ているうちに、知らず知らず、デニーロに見つめられ、そのまま登場人物のようにデニーロと一体になってしまうのだ。
パスタを食べるという何でもないシーンでさえ、デニーロになってパスタを食べている気持ちになる。
その一体感のなかで、デニーロの肉体が動く。芯が強く、しかもしなやかな動きが、自己抑制できる精神の強靭さを具現化している。かっこいいねえ。
マーロン・ブランドをまねた声色は、――私は、その部分だけは嫌いなのだが、そのほかはとても魅力的だ。地声で、もっとデニーロ自身を出せば、さらに魅力的になる。
アル・パチーノは、まあ、損な役どころではある。デニーロが築き、守ってきた「一家」を少しずつ崩してゆく。「家族」が崩壊してゆく。どうしたって、嫌われる。自己主張するたびに、愛しているひとを傷つけてしまう。ダイアン・キートンが得意の受けの演技で、これがまた、すごいね。アル・パチーノのなかにある「絶望」を吸い取ってしまう。目がどんどん暗くなる。堕胎を告げるシーンがすごいが、その告白が、アル・パチーノの「絶望」を結晶化し、アル・パチーノの肉体から切り離し、奪い取る感じがする。奇妙な言い方だが、このあとアル・パチーノは「絶望」すらできなくなる。「冷酷」がアル・パチーノを支配してゆく。誰も信じない人間に仕上がってゆく。
うーん、人間の対比に胸が締め付けられる。
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