ダンカン・ジョーンズ監督「ミッション8ミニッツ」(★) | 詩はどこにあるか

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監督 ダンカン・ジョーンズ 出演 ジェイク・ギレンホール、 ミシェル・モナハン

 映画になっていない。SFは装置に驚きがあるか、人の動きに驚きがあるのが基本。
 装置でいえば、「マイノリティーリポート」のコンピュータ。これに人の動きも加わっているけれど、モニターに複数のウィンドウがあり、それを手で動かす。(iPadが追いついてしまった。)人の動きでは「マトリックス」。イナバウアーじゃないけれど、体をそらしての弾丸除け、ワイヤーアクションなど。
 この映画の「装置」はちゃっちい。連絡がテレビ電話の域を出ない。詰めているスタッフも人数が少なすぎて、とても高度な装置を作ったとは思えない。「アポロ13」なんかの地上スタッフなんか、実にリアル。それに、テロ対策のスタッフがこの計画にコミットしていないのも不自然。詳しい人の情報を吸収しながら対処するべきでは?
 まあ、簡単にいうと、リアルじゃない、というだけなんだけれど。

 たぶん、これは「舞台」でやるとおもしろい。舞台の場合、装置はもともと「簡略」が基本。つかこうへいのように、ことばが「装置」とばかりに、装置がないものも舞台なら「見える」。舞台は「想像力」で見るものだからね。
 同じアクションが少しずつ変わっていく――というのは、舞台では、「笑い」も呼び起こし、きっと観客の反応がそれ自体、ひとつのストーリーになって、舞台を動かしてゆく。映画は、観客の反応がスクリーンを動かすということはないからね。

 この映画のオチ――主人公の「絶対的な死」、それ自体が主人公の「夢」というか、「装置」のなかの現実なんて、「小説」なら「哲学」になるけれど、映画では「ばかみたい」という感想しか生まれない。
 映画は、映像が「哲学」。映像以外で語る衝撃なんて、面白くない。
 「マイノリティーリポート」では、新しいコンピュータとその動かし方が「哲学」。それまで、だれもそんな映像を見たことがないでしょ? 「マトリックス」ではキアヌ・リーブスの肉体の動きが「哲学」。あんなふうにして弾丸をよけてみたい、真似してみたいとおもうでしょ? あれがほしい、あんなふうにしたい、と肉体に働きかけてくる映像があって、初めて映画になるということを、この監督は知らなすぎる。




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