戦争を描きながら戦闘シーンがない。けれど、負傷者はちゃんと描く。死も描く。一方で、無意味な「自殺願望」も描く。そこから「生きる」ことを見つめ直す――というしかつめらしいことは、どうでもいいね。
私は、ロバート・デュヴァルが看護婦長とセックスするシーンと、看護婦長のアンダーヘアの「色あて」のシーンが大好き。別に理由はない。わけでも、ないか。人には、人に知られずにしたいこと(秘密の欲望?)があり、また人の隠していることを知りたいと思う気持ちがある。それは、「してはいけないことをしたい」という欲望かもしれない。
「してはいけないことをする」とき、人は喜びを感じる。
アメリカンフットボールのシーンも、同じだね。「試合」を真剣にするだけじゃなくて、「してはいけないことをして」勝つ。勝つために「してはいけないこと」をする。なんあろうねえ、この不思議な欲望。
まあ、どんなことにも「一線」はあるんだろうけれど。
その「一線」の周辺で、「いのち」の側に身を置くというところが、この映画を支えている「哲学」なのかもしれない。「いのち」を守ることだけは真剣にやる。「いのち」の前では、階級を無視する、規律を無視する――ここに、反軍隊、しいては反戦ということになる。
当時は、この視点はとても新鮮だった。
ここからどんな「哲学」を「言語化」できるか――そういうことをずいぶん考えた。どこまで考えたか、いまは思い出せないが、考えたということだけは忘れられない。
だから、私には、忘れられない映画である。
ただ「小倉」のシーンは、あまりにもひどい。「日本」は、当時のアメリカから見れば「中国」の一部ということだろうねえ。(減点★1個)
「最後の晩餐」のパロディーも、好きではない。「名作」に頼らなくてもいいのでは、と思うのだ。
この映画では「悪役(嫌われ者)」だけれど、私はなぜかロバート・デュヴァルという役者が好きだなあ。たいてい「冷静」な役どころ(「ゴッドファザー」の弁護士?とか)なんだけれど。こういう役者がいると、さわがしい映画が、どこか落ち着く。
(2011年08月27日天神東宝3、「午前十時の映画祭」青シリーズ30本目)
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