アク・ロウヒミエス監督「4月の涙」(★★★★) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

監督 アク・ロウヒミエス 出演 サムリ・ヴァウラモ、ピヒラ・ヴィータラ、エーロ・アホ

 この映画の感想を書くのは難しいなあ。フィンランドの内戦という歴史を私は知らない。で、白軍の男と赤軍の女が無人島に流れ着いて・・・という始まりから想像すると。どうしても「流されて」を思い浮かべてしまう。
 でも、ぜんぜん違う映画なのだ。
 男と女の愛を描いていることは確かなのだが、「流されて」のように単純ではない。同じ国民同士が戦うという内戦のむごたらしさが、人間の精神にどう影響するか、内戦の影響で人間がどのように変わるか、変わらないかを不気味な静かさで描いている。――不気味な、というのは、その殺戮が「戦場」ではなく、「日常」の場でおこなわれるからだ。捕虜を収容し、捕虜を解放するふりをして「脱走」を仕立て、それを殺戮する。存在しない「物語」が捏造され、捏造された「物語」を根拠に殺戮が行われる。
 戦う根拠などないのだ。内戦に根拠がないのだ。詳しくはわからないが、そしてこの映画でも明確には描かれていないが、フィンランドの内戦とロシアとの関係がわからない。なぜ、内戦をするのか、とりわけ「白軍」の方には理由が分からない。だから殺人(殺戮)の「根拠」を作ってしまう。
 あ、もしかすると、ここにこの映画の「根拠」のようなもの、作らなければならなかった理由があるのかもしれない。アク・ロウヒミエスの描きたいものがあるかもしれない。
 男と女が無人島に流される。そのとき、そこにどんな「物語」が生まれるか。そう考えるとき、「物語」とは結局、人間の欲望だね。どうしたいか。もし、私が女と無人島に流されたら、どうするか、何をしたいか。この「物語」は明白すぎて、もはや「物語」にならない。――だから、そういうことを、この映画は描かない。
 その後に「物語」を複雑に交錯させる。
 男と女とは別の、第三の主人公、判事が「作家」という設定が、この「物語」を面白くさせる。作家は現実ではなく、最初から「物語」を生きている。無人島で男と女は、どんな「物語」を生きたか。その「物語」に自分は参加できるか。できるとしたら、どういう形がありうるか。
 ねじくれているねえ。
 判事(作家)の妻が判事を訪ねてくると、さらに「物語」は錯綜する。判事は、男と妻の間に、男と女の「物語」が生まれるようそそのかす。積極的に「寝とられ男」を演じ、内戦に傷ついた精神を際立たせる。男が手洗いに立ち、妻がそれを追いかけ、セックスするのをドアの外で聞き耳を立てて「目撃」するのである。妻は、夫がセックスを「目撃」していることを知って、というか、夫に知らせるために、わざとセックスをする。それは男色の夫への復讐という「物語」である。異常だねえ。しかし、そこに内戦で苦悩する作家という「物語」、あるいは内戦が引き起こした苦悩によって男色に逃避した男という「物語」を挿入すれば、それな「異常」ではなく「悲劇」に代わる。それはほんとうは「悲劇」ではないが、作家は「悲劇」にしたいのだ。「悲劇の主人公」になることで自分の精神を安定させたい。
 しかもそれは、そこで終わりではない。
 この「悲劇の主人公」は、男に「愛」を求める。そして、無人島での男と女の「物語」を、「何もなかった物語」として求める。男と女の関係がなかった――と聞き出し、その「物語」によって、次に男と男の「物語」を求める。繊細で傷つきやすい精神を持った「教養人」としての二人の「物語」にすがろうとする。
 男(白軍の兵士)は、女を助けるために(女を愛してしまったがゆえに)、この「物語」を受け入れる。
 だが、こんな複雑(?)な「物語」とは無縁の人がいて、つまり「赤軍抹殺」という「物語」だけを自己のアイデンティティとする野蛮な(?)白軍の兵士たちがいて、逃走している赤軍の女を殺しにくる。そうして、もう一度、別の「物語」が起きる。逃げる女を惨殺しようとする野蛮な白軍の男を、無人島で一緒に生きた男が銃殺する。いわば、白軍の裏切り――そして、女への愛の完遂。
 観客は、若い兵士の「愛の物語」として、最終的にこの映画を納得するのだけれど。まあ、しかし、それはこの映画のテーマではないね。やはり、錯綜する「物語」――というより、「物語」抜きには生きてゆけない人間の悲しみが、内戦によって複雑にうごめくということを描きたかっただろうと思う。
 救いは、女の「物語」にある。赤軍の女にとって、男(白軍の男)はただ女をレイプし、殺して喜ぶだけの野蛮な人間だったが、そうではない男もいることを知る。愛に値する男が「白軍」「赤軍」に関係なく存在することを知るという「物語」がありうるのだ。

 あ、ストーリーの紹介に追われてしまったなあ。
 映画は、この錯綜する「物語」の、錯綜――内戦自体が、錯綜する「物語」だね――を汚れのないフィンランドの風景のなかで展開する。4月にも雪は残り、風は冷たい。光は透明で、人間の醜い感情とは無縁である。この対比がすごいなあ。映像が冷徹ですごいなあ。女の、揺るがない視線の強さだけが、フィンランドの大地と向き合っている。そのほかは、弱い男が作り上げた「物語」に過ぎない。
 だから、女は生きてゆくが、男は死んでゆく。「物語」は死に、女が産み続ける命だけが存在する。
                        (KBCシネマ2)






愛ではないすべて [DVD]
クリエーター情報なし
オンリー・ハーツ