フェルメールからのラブレター展 | 詩はどこにあるか

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フェルメールからのラブレター展(京都市美術館、2011年07月20日)

 今回公開されている「手紙を読む青衣の女」は修復されたものだと言う。アムステルダムで見たとき、頬(顔)から首にかけての汚れ(?)のようなものは何だろうと思った。それは修復によってどうなったのだろうと気になって見に行った。その汚れはそのままだった。あれはいったい何なのだろう。いつついた汚れなのだろうか。
 わからないものはわからないままにして……。
 「青衣の女」というから「青」が中心の絵である。中央に光のなかで変化する「青衣」がある。左右に椅子があり、その椅子の背もたれ、座面が青い革(?)で覆われている。その椅子の青が暗い藍に近く、女の窓に向いた軽い青と美しく響いている。
 椅子の青にも諧調があって、右の椅子の背もたれの折れ曲がって陰になった部分などとても強い感じがする。深い感じがする。あ、ここも青だったのか、と今回気がついた。
 左手前の、何だろう、ベッドカバーだろうか、ソファーのカバーだろうか、そこにもほとんど黒に近い藍があって中心の青の変化をしっかりと支えている。
 しかし、私が驚いたのは、実は「青」ではない。
 背後の壁の白の変化にびっくりしてしまった。とても明るい。特に窓際が静かで透明な白に生まれ変わっている感じがした。そして、その白が、青と同様、一様ではなく光のとどく距離によって変化している。その白の変化がとても美しい。
 その白に促されて、私は、次のようなことを考えた。
 手紙を読む女のこころ、光(希望)へ向かって動いていくこころのような感じがする。女は立ち止まって手紙を読んでいるのだが、読み進むにつれて、もっとはっきり読みたい、と光のなかへ一歩足を動かす感じがする。動きを誘う白である。
 青がじっとそこにある青、滞って(?)藍にまで沈んでいくのに対し、白は、その青を誘っている。光のなかへ誘っている。それが服にも手紙をもつ手にも、女の額にも、手紙そのものにも輝いている。
 光の方向へ、左側へという動きには、壁に吊るされた地図、その地図をまっすぐに垂らすための錘(?)の存在が大きく影響しているかもしれない。先頭に丸い玉がついた鉄の棒のようなものだが、この強い水平線が、絵を動かしている。
 女の手紙を読む視線(目と手紙を結ぶ斜め左下への斜線)、それと平行するように額(頭部)と地図をまっすぐにするための鉄の棒の先頭の玉を結ぶ見えない斜線があり、ちょうどその斜線と直角に交わるように窓から光が降り注いでいるような感じがする。その二つの斜線が交叉するあたりが、絵の一番濃密な部分であり、その濃密さを安定させる形で空間が広がっている。女の右背後の壁の白、その静かな陰--あ、これも美しいなあ、と思った。

 フェルメールは他に2点。「手紙を書く女と召使い」「手紙を書く女」。
 フェルメール以外では、ヘラルト・テル・ボルフの「眠る兵士とワインを飲む女」がおもしろかった。絵というよりも、その時代の風俗が伝わってきて、楽しかった。展覧会の主眼も、「時代を伝える絵画」という点にあるようだった。
                         (10月16日まで、京都市美術館)

フェルメールの世界―17世紀オランダ風俗画家の軌跡 (NHKブックス)
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