ニキータ・ミハルコフ監督「戦火のナージャ」(★★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 ニキータ・ミハルコフ 出演 ニキータ・ミハルコフ、オレグ・メンシコフ、ナージャ・ミハルコワ

 この映画はとてもわかりにくい。1943年と1941年を行き来するのだが、ロシアの歴史を知らない私には、この2年の区別がつかない。スターリンへの憎悪や宗教の問題も、私にはよくわからない。
 いくつも美しいシーンがある。ニキータ・ミハルコフが幼い娘を抱いてボートで川下りをするシーンがとりわけ美しい。(「太陽に灼かれて」でつかわれていたニキータ・ミハルコフと幼いナージャ・ミハルコワの映像)。映画の中では、それはニキータ・ミハルコフとナージャの共通の記憶であり、その記憶によってふたりは戦場を彷徨いながらもつながっている。生きる希望そのものの、やわらかな光にみちた映像である。
 また、それとは対照的なシーン。虐殺が行われる村(ナージャが逃げ込んだ村)の自然の美しさ、乾いた金色の麦の穂や、あふれる光が、惨殺とは無関係にそこにある--その不思議さを、むき出しの形で伝えてくる映像である。
 いずれも、空気そのものの匂いまで感じられるような、ニキータ・ミハルコフ特有の映像である。
 今回びっくりしたのは、ニキータ・ミハルコフの塹壕をドイツの戦車が襲った後の映像である。 240人(だったかな)の死体。その、だれものが腕時計をしている。そしてその時計は動いている。歯車がまわり、秒針がまわる--その音がスクリーンに広がる。人が死ぬ。そのこととは無関係に、時間は動いている。
 何のために?
 虐殺が行われた村の美しい自然が、たとえば、そのとき語られる「神」のある意味での「意思」だとすれば、この動きつづける「時間」とは何だろう。それもまた「神」の意図なのだろうか。
 ここでは「神」は語られず、スターリンの愚かさが告発される。ドイツの戦車に小銃で戦えと指示したスターリンの無謀さ。そして、そういう戦線へロシア人の典型のような長身のエリートを送り込み、エリートだからドイツ兵に勝てるというような「机上の論理」が告発される。
 しかし、その告発は、「時間」がそういうときも存在するということについては何も語らない。
 何も語らないからこそ、ここにはニキータ・ミハルコフのいちばんの主張がこめられていると思う。
 人間には無関係に過ぎていく時間。いつでも存在してしまう時間。それを生きていく--つまり充実したものにしていくのは人間の力なのだ。人間の力が充実するとき、「時計」の音は消える。人間の鼓動が「時計」にかわって、時間を動かしていく。
 このことを象徴的に語るのが、ラストシーンである。
 戦場看護婦のナージャが破壊された教会で瀕死の兵を見つける。治療を試みるが、助ける方法などない。若い兵士は、死の間際に、ナージャに「胸を見せてくれ。まだ一度も見たことがないんだ」と訴える。ナージャは、それしかできることがないと知って、ためらいながらも、静かに服を脱ぎ、美しい乳房を見せる。兵は死に、カメラはナージャの背中を写したまま、高く高く宙へとのぼっていく。雪が、廃墟となった教会と、上半身裸のナージャの上に降ってくる。
 このとき、ナージャの小さな心臓の音、その震えと、消えていく若い兵士の鼓動の音が聞こえる。--効果音として、というのではなく、沈黙の中で、私は、その交錯する鼓動の音を聞いてしまうのである。
 この映画で、ニキータ・ミハルコフは「音」を映画に定着させることに成功した、と感じた。これまでニキータ・ミハルコフが「音」をどんなふうに扱ってきたのか(音にどんな仕事をさせてきたのか)、私は気を配ってみたことがなかったが、今回は、音に気がついた。
 そして、この「音」を「ことば」にまで広げていくと、またこの映画の別の姿が見えてくるかもしれない。この映画で描かれる悲劇では「ことば」がとても重要な働きをしている。ナージャを追い詰めるのは、「党よりも家族が大事」と言った彼女自身のことばである。また、彼女の乗った赤十字船が撃沈されたとき、最後の「すくい」のようにして彼女に働きかけてくるのは「洗礼」のことば、「神」のことばである。さらには、この悲劇をつらぬいているのは「伝聞」としての「ことば」である。誰も「真実」を知らない。誰がどこで生きているか知らない。その知らないことを「生きている」とことばにして、信じるとき、それは人間を動かす力になる。
 この「ことば」にならなかった「ことば」、人間のこころのなかで動いている「ことば」をニキータ・ミハルコフは映像にしているといえるかもしれない。




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