子どもの気持ちを大人はわかってくれない――そういうとき、子どもはどうやって生きてゆくか、という視点で見直してみた。それに大人はどう向き合うか、という視点で見直してみた。
ライバルチームのピッチャー(監督の息子)の態度がおもしろいね。三振を取りたいのに勝負を避けるように命令される。そんなことをして勝ったって面白くない。ピンボールをわざと投げてしまう。監督に殴られる。「ぼくの気持ちなんか、何にもわかっていない」。次に投げた球は、ぼてぼてのピッチャーゴロ。ところが捕球した後、一塁へ投げない。打者は一塁、二塁とベースを踏んでゆく。チームメートがボールをピッチャーから取り上げようとする。彼はかたくなに拒む。この、父親への反抗の仕方がいいね。子どもができることは反抗しかない。反抗をとおして、子どもは成長していく。
これを見て、ウォルター・マッソーが気づく。というか、だらしない監督だったのが、急に目覚める。「大人」に成長する。子どもは大人を見て成長するが、大人は子どもを見て成長する。
子どもたちは、野球をしたいのだ。勝つことはもちろん楽しいが、負けたって楽しい。ほんとうに自分ができることをしたのなら。自分にできることをしないで勝っても楽しくない。だから、最後はベンチを温め続けていた子どもも全員プレーさせる。「こんなことをしたら負けちゃうよ」「大丈夫、勝てるさ」。
そこまでしたら嘘になるから、試合にベアーズは負けるんだけれど、全然みじめじゃない。「お荷物」だったチームメートに「おまえ、できるじゃないか」とほめたたえ、全員で、ビールなんかを飲んだりして、はしゃいでしまう。この陽気さ――勝ったチームにはない、無邪気さ。いいもんだね。この無邪気な一体感こそ、幸福というものに違いない。
大人の仕事は、この無邪気な喜びを傷つけないことだね。――と書くと、この映画の「説教くささ」に染まってしまった証拠かも。
まあ、いいか、テイタム・オニールのカーブも見ることができたから。
一か所。テイタム・オニールが帽子の裏にワックス(?)を塗って変化球を投げるシーン。説明の仕方が、記憶と違っていた。ほかの映画と混同したのかな? 「つばを拭くふりをしている」以上の説明があったように記憶しているのだが。
「午前十時の映画祭シリーズ」ではときどきこういうことが起きる。私の記憶違い? それとも別バージョン?
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