小松弘愛「うつ」は、新聞の投稿欄の選者をしている小松が出会った作品から書き起こしている。投稿作品は「うつ病を治すには/規則正しい生活をすること」から始まっている。小松は、交ぜ書きに出会った時、ときどき手を加えて漢字熟語に変えているという。ところが。
「うつ病」には手を加えなかった。「うつ」を煩瑣な二十九画の漢字「鬱」に置き換えるのは病気によくないかもしれない。書道展なんかで見る、やわらかい「をんなもじ」を思い浮かべながらひらがなのままにした。
そしてこれから、ことばが軽々といろんなところへ飛んで行く。
わたしは教壇に立っていたとき、「佐藤春夫『田園の憂鬱』」と板書する機会が何度かあり、さして苦労もせず「鬱」の字がかけるようになっていた。そして、この小説のラストで繰り返される「おお、薔薇(そうび)、汝病めり」のフレーズと共に「鬱」の字に愛着を覚えるようになっていた。
酒造りによい水の湧き出る山間(やまあい)の土地で、同人誌の「夏の合宿」が行われた。そこでは俳句と短歌を一緒にしての、半ば遊びのような「句会・歌会」をもつことが恒例となっていた。「年に一度の歌人」になって出したわたしの一首。
人前でサラサラサラと鬱の字を書きうれしく躁の側(がわ)へと
「おお薔薇、汝病めり」の「病」の文字に、投稿作品の「うつ病」と重なる部分があるが、そのほかはあまり関係ない。小松の教員時代の思い出が書かれ、同人誌の集まりで歌を詠んだことが書かれている。
そこでは、もっぱら「漢字・鬱」のことが書かれている。投稿作品の「病気」のことから、どんどん逸脱していく。
変だねえ。
でも、その変だなあ、と思ったころをみはからって(?)、
「鬱」から「躁」へと言えば、この二つを繰り返しての「躁鬱」気質に悩みながら、多くの小説を書いてきた北杜夫のことが思い出され、投稿詩の「評」もこのことに触れてみようと書きはじめたがうまくゆかず、「病跡学」を引いて、という仕儀になった。
思い出したように、最初の投稿詩にもどる。もどるけれど、何やら完全にもどるというわけではない。
この、行ったり来たりというか、逸脱しながらも、ことばが動いていく感じが、「散文詩」らしくて自然だなあと感じる。行分け詩の場合、「もどってくる」ということが、ちょっとむずかしいかもしれない。書いたことばを捨てながら、先へ先へと暴走する。そして、予定外のものを書いてしまう--そういう時に、行分け詩は輝くが、散文詩の場合は事情が違う。
きのう読んだ林嗣夫の「星座」もそうであったが、「散文詩」の場合、ことばのひとかたまりがひとつの時間を持つ。ことばが先へ進むと同時に、そこで「停滞」する。立ち止まってしまう。多様なものを含んだひとかたまりが、必然的にことばが描き出すものを引き留める。
その時間が別の段落(かたまり)の時間と重なり、同時にずれる。
その重なりとずれの間に、作者の「肉体」がふわりと浮いてくる。ふわりと浮いてくる「肉体」を感じる時がある。
そうして、あ、時間の重なりとずれを見ているのか、それとも作者の「肉体」を見ているのか、一瞬わからなくなる瞬間がある。--まあ、これは「方便」で、作者の「肉体」の浮かび上がり方に、なんとはなしに安心感を覚えるといった方がいいかもしれない。
小松の作品でいうと、「鬱」の画数を手を動かしながら数えている姿が見えてくる。「鬱」という字を書く姿が見えてくる。私は「鬱」という漢字が書けないので、小松の姿が見えるといっても「完全」ではないのだが、ともかく「手」の動きが小松として浮かび上がってくる。
詩に書いてあることとは無関係に、というと言い過ぎになるけれど、あ、ここに人間がいる。そうすると、何か「時間」がとても落ち着くのである。「時間」というのは抽象的なものだが、突然、具体的なものに見えてくる。
これは魅力的だなあ。
「肉体」をもったほんとうの人間がいる、そしてその肉体のなかで整理しようとして整理できない何かが動いている。その動きに困惑しながらも、なんとか起きていることをことばにしようとして、その肉体は動いていく。
それを完全に(完璧に?)追いかけるのは、なかなかきびしい(むずかしい、めんどうくさい)けれど、まあ、むずかしいことは、私はしない主義。
小松には会ったことがないけれど、会えばきっと「鬱の字書いて見せて」なんてことを口走ってしまいそうなくらい、その「肉体」に親しみを感じるのだ。その「鬱」の字を覚える(習得する)までの時間の確かさに安心感を覚えるのだ。
詩は、このあと、ことばをねじ伏せる、でもなく、ことばにまかせる、でもなく、静かに折り合いをつけている。「うつ」と「鬱」を調和させている。--でも、これは、付録(?)。「鬱」の字を書く小松の「肉体」の存在が、この詩の静かな魅力だ。
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