好きな「音」をむりやり探せばないことはないが、やはりこの詩は変だと思う。「音」を題材にして書かれた数行。
日月の廻転と天体の音楽を知つている
ベトーヴェンの音楽などは
鉄砲の音とあまり違わない
ウァレリの詩なども女中さんが
花瓶を割つた音とあまり変りがない
比喩が直接的すぎて、飛躍がない。「音」が広がっていたない。「音」が何かを破壊しない。逆に、何かを繋ぎ止めてしまう。
物質の存在も宇宙の存在も
人間には神秘の極限であるが
犬の脳髄にとつてはなんでもない
つまらない一つの匂いかもしれない
ここにも飛躍がない。イメージの自由な飛翔がない。「意味」が強すぎる。
動物にとつては人間は諧謔の源泉だろう
主体と客体の区別は人間の妄想だ
犬にとつては犬がいちじくを食おうが
いちじくが犬を食おうが
どちらでも同じことだろう
最大なシュルレアリストだ
ここにも「意味」しかない。--あ、それではその「意味」とは、と言われると、「意味」を書くことができないのだけれど(説明できないのだけれど)、「意味」が固まっているという感じがするのだ。ことばが響きあわない。解放されない。「いちじく」「いぬ」という音の組み合わせがいけないんじゃないか、とおもってしまうのである。
![]() | Ambarvalia/旅人かへらず (講談社文芸文庫) |
| 西脇 順三郎 | |
| 講談社 |
