誰も書かなかった西脇順三郎(215 ) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

 『禮記』のつづき。「生物の夏」のつづき。

 好きな「音」をむりやり探せばないことはないが、やはりこの詩は変だと思う。「音」を題材にして書かれた数行。

日月の廻転と天体の音楽を知つている
ベトーヴェンの音楽などは
鉄砲の音とあまり違わない
ウァレリの詩なども女中さんが
花瓶を割つた音とあまり変りがない

 比喩が直接的すぎて、飛躍がない。「音」が広がっていたない。「音」が何かを破壊しない。逆に、何かを繋ぎ止めてしまう。

物質の存在も宇宙の存在も
人間には神秘の極限であるが
犬の脳髄にとつてはなんでもない
つまらない一つの匂いかもしれない

 ここにも飛躍がない。イメージの自由な飛翔がない。「意味」が強すぎる。

動物にとつては人間は諧謔の源泉だろう
主体と客体の区別は人間の妄想だ
犬にとつては犬がいちじくを食おうが
いちじくが犬を食おうが
どちらでも同じことだろう
最大なシュルレアリストだ

 ここにも「意味」しかない。--あ、それではその「意味」とは、と言われると、「意味」を書くことができないのだけれど(説明できないのだけれど)、「意味」が固まっているという感じがするのだ。ことばが響きあわない。解放されない。「いちじく」「いぬ」という音の組み合わせがいけないんじゃないか、とおもってしまうのである。


Ambarvalia/旅人かへらず (講談社文芸文庫)
西脇 順三郎
講談社