ナボコフ『賜物』(44) | 詩はどこにあるか

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 森の中に深く入っていった。小道に敷かれた黒い板は、ぬるぬるして滑りやすく、赤みを帯びた花弁の連なりやへばりついた木の葉に覆われていた。いったい誰がこのベニタケを落としていったんだろう、笠が破れ、扇のような白い裏側を見せている。その疑問に答えるように、呼びかわす声が聞こえてきた。女の子たちがキノコやコケモモを採りに来ていたのだ。それにしてもあのコケモモ、木になっているときよりも、バスケットに入れられたときのほうがよっぽど黒く見える!
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 ナボコフの表現には「色」がたくさん出てくる。うるさいくらいである。黒、赤、白とつづいて出てくるこの文章では、しかし、その直接でてきた色よりも、最後の「よっぽど黒く見える!」が印象的である。同じコケモモでも色が変わる。その変化に、目が引きつけられていく。
 だが、この文章でそれが印象的なのは、そこに色の運動(変化)があるからだけではない。そこに繊細な感覚があるからだけではない。
 途中に「呼びかわす声が聞こえてきた。女の子たちがキノコやコケモモを採りに来ていたのだ。」という「色」以外のものが挿入されているからである。黒、赤、白という「色」が少女たちの「声」によっていったん洗い流される。そのあと、新しい目で「黒」だけを見つめるから、黒の変化がくっきり見えるのだ。
 女の子の「声」が挿入されなかったら、黒の変化は、赤と白に邪魔されて、よく分からないものになったに違いない。

ナボコフ伝 ロシア時代(下)
B・ボイド
みすず書房