ナボコフ『賜物』(43) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。


 水たまりに藁が一本浮いていて、二匹の糞虫が互いに邪魔し合いながらしがみついていた。彼はその水たまりを飛び越え、道端に靴底の跡を刻み込んだ。なんとうい意味ありげな足跡だろう、いつまでも上を向いたまま、消え去った人間の姿をいつまでも見ようとしている。
                                (124 ページ)

 この部分が原文どおりであるかどうか、私は知らないが、ナボコフの文章がにぎやかなのは、ここにみられるような「主語」の交代が頻繁にあるからかもしれない。
 特に印象的なのは、「足跡」が主語になった部分である。足跡が、「いつまでも上を向いたまま、消え去った人間の姿をいつまでも見ようとしている。」とまるで意思をもった存在であるかのように書かれている。
 「……しているように見える」と書けば、「彼には……見える」になるのだが、この構文では風景の印象が弱くなる。それは単に彼にそう見えただけのものになる。「彼に」を省略ではなく、拒絶し、「足跡」そのものを「主語」にするから風景が動きだすのだ。


ナボコフ伝 ロシア時代(上)
B・ボイド
みすず書房