ナボコフ『賜物』(40) | 詩はどこにあるか

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 ワシリーエフの執務室の描写。執務室から見た街の描写。

窓辺には(窓の向こうに立っている同じような高層のオフィスビルは補修中だったが、作業は空中のあまりに高いところで行われていたので、ちぎれて裂け目のできた灰色の雲もついでに修繕できそうに思えた)オレンジが一個半載った果物鉢と、食欲をそそるブルガリア・ヨーグルトの小さな壺が置かれ、本棚のいちばん下の鍵のかかった引き出しには奇談の葉巻と赤と青に彩られた大きな心臓の模型がしまわれていた。
                                 (97ページ)

 何が書かれているかわからない。つまり、ここに書かれていることが、この小説のなかでどんな「意味」をもっているのかわからない。これらかのストーリーの伏線になるのかもしれないが、ことばがあまりに多すぎて、伏線だとしてもきっと思い出せない。
 きっと、伏線なんかではないのだ。ただ、そのことばが書きたいだけなのだ。
 この、作家特有の欲望は、特に丸カッコ内に挿入(追加?)された部分に感じる。「ちぎれて裂け目のできた灰色の雲もついでに修繕できそうに思えた」という文は非常に印象的で、それだけを読むためにもう一度このページを私は読み返してしまうのだが、ナボコフはこのことばが書きたかったのだと思う。
 挿入されたことば、追加されたことば、逸脱していくことば--それこそをナボコフは書きたいと思っている。ナボコフは「作家」に分類されるけれど、こういう欲望の発散のさせ方を見ると、「詩人」と読んだ方がいい。
 詩人だけれど詩ではなく、小説を選ぶ。それは小説の方がどんなことばでも受け入れる猥雑さをもっているからだろう。


ナボコフの1ダース (サンリオ文庫)
ウラジミール ナボコフ
サンリオ