口笛のテーマ曲が私は気に入っている。不思議な哀愁がある。西部劇っぽくない。
まあ、黒沢明の「用心棒」の盗作だから西部劇であるはずがないのだが。しかも監督はセルジオ・レオーネだから、「根っこ」がさらに西部劇と無関係である。無関係な人間が集まって「西部劇」をでっちあげた。「根っこ」のない西部劇である。
そして「根っこ」のかわりにあるのが「哀愁」というロマンなんだろうなあ。
「根無し草」の悲しさと、軽い美しさ――何をしても現実に関しては責任をもたないという軽さの美しさ。この「哀愁」に、意外とクリント・イーストウッドの細い肉体があっている。
もしジョン・ウェインが演じていたらどうなる? 違ってしまうねえ。特に女を逃がしたのがばれて、殴る、けるの暴行を受けるあたり。あれが残酷な美しさ(?)を感じさせるのは、クリント・イーストウッドの肉体が細いからである。あの細い体で、本当に耐えられる? あばら骨折れてない? 残虐を耐え抜いて、復讐する。これもクリント・イーストウッドの細い体があればこそ、快感になる。
でもねえ。
いま見ると、あのぞくぞくするような残酷な快感が、とてもとてもとても、薄い。左手(手の甲)を踏みつけられるシーンなど、もう「痛み」がスクリーンから広がってこない。自分の肉体が痛いのはいやだけれど、誰かが痛みを身代わりになって引き受け、苦しんでくれるとしたら、――うーん、やっぱり、人間はどれだけ耐えられるんだろう、なんてみつめたい気持ちにもなるのだが・・・。それは、もう遠い夢。
「もう殴っても痛みを感じない」というラモンのセリフは、残酷というよりやさしさを伝えてしまう。
あ、いまの映画は残酷になっているんだね。
クライマックスの銃撃シーンなんて、いま見るとのんびりしているもんねえ。いまは全然過激じゃない。荒々しくない。人間の感性なんて、だらしなく、なんにでも慣れてしまうのだ。
時代とともにかわってしまう感性について考えさせられてしまった。
(「午前10時の映画祭」青シリーズ3 本目。福岡天神東宝)
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