ロドリゴ・ガルシア監督「愛する人」(★★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 ロドリゴ・ガルシア 出演 ナオミ・ワッツ、アネット・ベニング、ケリー・ワシントン、ジミー・スミッツ

 ロドリゴ・ガルシアは女性をとても繊細に描く。私は女性ではないので、女性自身がどう感じるかははっきりとはわからないが、いくつものシーンで、「あ、女っぽいなあ」と思い、みとれてしまうのだった。
 たとえばナオミ・ワッツが妊娠したかもしれないと思い、産婦人科へ行く。そのときの担当医がたまたま大学の同級生である。ナオミ・ワッツは気がつかないのだけれど、医師が気づく。そして、思わず「あなたは○○と同じ部屋だったでしょ」というようなことを口にする。親密感(親近感)が、ふっと出てしまう。それをナオミ・ワッツが拒絶する。そのときの呼吸、それから、その拒絶に気づいて医師が反省し、謝罪する。そのひとつづきの感じが、どこがどうとは言えないのだけれど「女の現実」というものを感じさせる。「女」を見てしまった、という感じがする。
 アネット・ベニングが関係するエピソードでは、彼女の母がアネット・ベニングにすまないことをした、というのを家政婦に語り、アネット・ベニングはそのことを家政婦から間接的に聞く、そして泣いてしまうシーン。本人には言いづらいことを他人に語ってしまうというのは、まあ、男でも女でも同じようにあるのだと思う。そのあと、それを知って、その場で泣いてしまうという「素直さ」、そして家政婦に対して怒ってしまうところ、その急激な感情の噴出が女っぽい。
 女性をうまく描く監督にウッディ・アレンがいるが(彼の映画では女性がともかくすばらしい演技をする)、ロドリゴ・ガルシアの女性の描き方はウッディ・アレンとはまったく違う。ウッディ・アレンの場合、女性は何かしらのインスピレーションの源という感じ、男にとって魅力的、刺激的という匂いのなかで美しく輝く。ロドリゴ・ガルシアの女性は、女性同士のなかでいきいきと動く。あ、こんな輝き方かあるのか、と、ふと思うのである。そういう女性たちの姿は私にとっては初めてのはずなのだが、それでいて何かしらなつかしいような気持ちにもさせられる。きっと、そういう感情の動かし方というのは男の私にもあるはずなのだけれど、「社会」のなかで知らず知らずに抑制しているんだろうなあ、とも思う。
 ロドリゴ・ガルシアは、きっと、しっかりと女性のなかに溶け込んで人生を生きてきたのだと思うのである。
 その女性同士の自然な感情の動きの美しさ--それは、この映画のなかでは、妊娠したあとのナオミ・ワッツと盲目の少女との触れ合いのなかにふっとただよう。屋上でひなたぼっこをしているだけなのだが、とても気持ちがいいのである。見ていて、とても自然な感じがする。ナオミ・ワッツか盲目の少女になった気持ちになるのである。
 そういう「自然」が描けるからこそ、その後のシーン、ナオミ・ワッツがそのビルを出て行くと決めたとき、エレベーターのなかで少女と会うシーンが切ない。別れのあいさつをすべきなのかどうかナオミ・ワッツは悩む。結局、声をかけない。その小さな決意が、彼女の一番の「不幸」なのだ。他人に頼らないことを決意して生きてきたナオミ・ワッツの淋しさなのだ。--これが、最後の悲劇、出産に際して帝王切開を選ばないという決意につながる。生まれてくる子供は知ることはないのだが、ナオミ・ワッツは、子供の誕生をはっきりと自分が支えた、おまえのいのちを支えるのだから、おまえは安心して生まれていいんだと、肉体で告げる生き方につながる。

 あ、女の決意とはこんなに力強いものなのかと、男の監督の映画を通して知るのは、とても不思議なことなのだが……。
 女性には、この映画は、どんなふうに、ロドリゴ・ガルシアの視線はどんなふうに見えるのだろうか。

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