熊切和嘉監督「海炭市叙景」(★★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 熊切和嘉 出演 谷村美月、竹原ピストル、加瀬亮

 冒頭のシーンが非常に美しい。学校。教室。授業中。遠くでサイレンがなっている。児童が水滴でくもった窓ガラスを拭く。そのとき少し光が変化する。その微妙な光の変化をきちんとつかまえている。私は期待でわくわくしてしまう。こんなに美しいシーンを見るのはいつ以来だろう。これからどんな美しいシーンがつづくのだろう。
 でも、その期待は、そこまで止まりだった。
 冬の北国(雪国)の弱々しい光。しかも、外の光を直接とらえるよりも、室内から、窓越しにその光をとらえる、あるいは窓から室内に入ってきた光をとらえることにカメラが(映画が?)夢中になりすぎていて、かなりむりがある。その光は美しいのだけれど、それだけにむりがある。
 たとえば、造船所のリストラで職を失う(?)若い夫婦の室内。台所があって居間がある。その間には戸があるのだけれど、その戸を閉めない。玄関のガラス戸が居間から見える。台所、玄関から入ってくる光を居間にまで取り込むためには、戸を開けておかないとむりなのだが、ねえ、冬の北国でそんなことする? まず防寒がいちばん。戸はできる限り閉める。こんな嘘のシーンを撮ってはだめ。昼にそんなシーンを撮ったために、年越しそばを食べるときも居間の戸は開いたまま。台所が、そこから見える。雪国じゃ、そんなことはしないよ。
 冒頭の映像の美しさ、そして暮らしの細部、細部に生きている命を丁寧に描くという点では「長江哀歌」(10年に1本の大傑作)に似ているが、嘘がある分だけ、その美しさも「つくられたもの」に成り下がってしまっている。つまらないね。「長江哀歌」のあの美しさを見たあとでは、どんな映画を見ても「長江哀歌」を真似しているとしか見えないところがつらい。暮らしの撮り方を、もっと変えないといけないのだと思う。
 ただ、外の雪のシーンは出色だった。冷たさがしっかりと定着していた。白い輝きではなく、灰色の硬さを含んだ雪の質感がよかった。そこに、暮らしをはっきりと感じた。こういう映像を撮れるのだから、室内ももう少し丁寧に撮ればいいのに、と思わずにはいられない。
 それに。
 なんだか「文学臭」が強すぎる。登場する人物が「苦悩」をおもてに出しすぎる。唯一の救いは、プロパンガス店の社長がボンベで足の指をつぶし動けなくなったとき、料金を滞納している暴力団員がたばこをすすめるところ。そこにだけ、人間の、人間に対するいい意味での裏切りがある。ガス代を踏み倒す暴力団員が、ふとみせる人間的なやさしさ--そこに、お、人間はおもしろい、と感じさせるものがある。
 あとは「不幸」の予定調和である。予定調和のストーリー、演技だから文学臭の「臭」がいっそう強くなるのである。
 「長江哀歌」を貪欲に消化する意欲はいいけれど、その分、興醒めの度合いも大きい。


海炭市叙景 (小学館文庫)
佐藤 泰志
小学館


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