ナボコフ『賜物』(24) | 詩はどこにあるか

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 この小説に書かれている詩に対する「批評」がおもしろい。

これらはもちろん小品には違いないが、並外れた繊細な名人芸によって作られた細密画のようで、髪の毛一本一本まではっきり見えるほどである。とはいうものの、それは過度に厳格な筆によってすべてが丹念に描き込まれているからではなく、この著者には芸術上の契約がすべての条項にわたって著者によって遵守されることを保証する誠実で信頼できる才能が備わっており、どんなに些細な特徴でさえもそこにあるかのように、読者は知らず知らずのうちに思いこまされるからなのだ。
                               (44-45ページ)

 ナボコフのナボコフ自身によるナボコフのための批評である。ナボコフは厳格な細密描写を否定している。厳格な細密描写が作品にリアリティーを与えるのではなく、文学のリアリティーは「芸術上の契約」を「遵守」することで成立する。それは、文学のことばは、文学のことばの運動を遵守することによって成立するというのに等しい。
 ナボコフは、そのことばの運動を「古典」によって支えているのだ。ナボコフのことばはすべて「古典」なのだ。どんなに新しいことをしても、そこにはかならず「古典」が引用されているのだ。
 ナボコフは古典に精通し、あらゆる文学に精通しているのだ。
 先の文につづくプーシキンの詩に関する言及(45ページ)は、その「証拠」である。


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