チクタクと時を刻む音は、一センチごとに横縞の入った巻尺のように、ぼくの不眠の夜を果てしなく測り続けた。
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この「巻尺」の比喩はとても興味深い。時間をナボコフは線のように考えている。そしてその時間は「一センチ」ずつ測れるようなものである。「一センチ」という単位があきらかにしているように、それは「空間」的なものである。
「空間」のように広がりをもち、そのなかを均一に動いていくものなのだ。
それは、引用した文章の直前に書かれている「詩」のなかにも出てくる。家中の時計を調節にやって来た老人は……。
そして椅子の上に立って待つ
壁の時計が完全に正午を全部
吐き出すまで。そうして、無事に
気持ちのいい仕事をやり終え
音もなく椅子を元の場所に戻すと
時計は微かにうなりながら時を刻む
「時」は均一に「刻」まれ、積み重なって「時間」になる。こんな考えを持つのは、ナボコフが(この小説の主人公が)、過ぎ去った時間(過去)をまるで一センチずつ刻んだ枡目のなかに「思い出」を均一に持っているからなのだ。
ナボコフの描写はとても細密だが、その細密さはこの時間感覚と同じなのだ。時間が一センチずつ時を刻むのにあわせるようにして、ナボコフは一センチずつ思い出を再現する。一センチという単位はけっして狂うことがない。いや、多少の乱れはあるかもしれない。けれど、その乱れを時計屋の職人のようにときどきネジをまいて調子をあわせる。つねに調整しつづけるのである。
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ウラジーミル ナボコフ | |
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