ヤノット・シュワルツ監督「ある日どこかで」(★) | 詩はどこにあるか

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監督 ヤノット・シュワルツ 出演 クリストファー・リーヴ、ジェーン・シーモア、クリストファー・プラマー

 「午前十時の映画祭」の1本だが、どうにも分からない映画である。ある日、若者の前に老いた女性があらわれる。「会いにきて」とつげて懐中時計を手渡す。若者はその女性に会いに70年前(?)の過去へとタイムトラベルする。そして若い美人の女優に会う。「会いにきて」とつげた女性だ。
 ふたりは当然のように恋に落ちるのだが、ぜんぜんおもしろくない。
 クリストファー・リーヴは「時」を忘れて恋をするのだが、その「時」をわすれてという感じが伝わってこない。「ロミオとジュリエット」の結婚式前のロミオとジュリエットの、神父にさえぎられながらキスするシーンの方がはるかに「時」を忘れている。すぐにあきるまでキスできるのに、いましたい、いまキスしたい、キスしたい、キスしたいと、それしか考えていない。いいなあ。「時」を忘れるって。
 まあ、我を忘れて――というのは、ジェーン・シーモアが芝居のせりふにアドリブで変えてしまうシーンがあるにはあるんだけれど。でも、せりふというのはことばだからねえ。映画を見ている気がしないなあ。「小説」を読んでいる感じ。
 「小説」なら、これでもいいのだろうけれど、映画なんだから映像で見せてほしい。肉体でみせてほしい。

 クリストファー・リーヴ、ジェーン・シーモアが好きじゃない、ということかなあ。だれならおもしろい映画になりうるか。うーん、わからない。