高橋睦郎『百枕』(25) | 詩はどこにあるか

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高橋睦郎『百枕』(25)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「枕川--七月」。
 「枕川」は高橋の造語。川の名前。その川を高橋は廓のなかを流れさせている。

枕川明易き夜を重ねつつ

明易き枕いくたび裏返し

 遊女の眠られぬ夜の感じが、「枕いくたび裏返し」という動作のなかにしっかりおさまっている。遊女にかぎらず、夏の夜は寝苦しく、熱のある枕を何度もひっくりかえし、少しでも涼しくなろうとする。客のいない遊女は、何を考えるだろう。何を思ったかではなく、枕を裏返すという、だれにでも通じること(だれもがしたことがあること)が、遊女をぐいと引き寄せる。こういう単純な動きが俳句ではとても強く働く、と思った。

枕川夏涸れ恋のいろくずも

 エッセイのなかに、高橋は、客の取れなくなった遊女について、「客離れ」と書いて「客がれ」と読ませている。その「かれる」が「夏涸れ」の「かれる」と重なり合う。
 句の「夏涸れ」よりも、私は「客離れ」の「かれる」に、はっ、とした。
 日本語は美しい。日本語は深い、と思った。
 客がつぎつきにつくときは「かれる」ではなく、きっと水がこんこんと湧いてくる感じなのだろうと思う。
 そういうときは、枕の上の頭の中では、楽しい夢もこんこんと湧いているだろう。
 「かれる」ということばが書かれているのだが、なぜか湧くということばを思い出してしまう。
 川の水も、もとへ逆上れば、こんこんと湧く水である。--そういう思いがあるからこそ、「涸れる」がより強烈になるのかもしれない。



 反句。きのう読んだ句の明るさにどこか似ている。いま、ここから遠くへ動いていく、そのさわやかさが気持ちいい。

枕川渡り夏越の祓へせん



柵のむこう
高橋 睦郎
不識書院

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